大西啓二元技官の訃報に触れて

2016年05月07日(土)
 水槽関係者のみならず、多くの阪大造船・船舶海洋の卒業生が大変お世話になった大西啓二元技官が2016年1月に急逝されました。退職されてから約1年半しか経っていませんでした。
 大西さんが在任中には、庚子造船会の特別会員になってくださいと、何度かお願いしたことがあります。ところが、大西さんはいつも、偉い先生方と一緒の会には入れないと、笑いながら固辞されました。このため大西さんは、庚子造船会の会員ではありません。この意味で、大西さんの追悼を庚子造船会のメディア上で行うことは、不適切かもしれません。しかし、私も含め、これまで大西さんに大変お世話になった卒業生、大西さんがいなければとうてい卒業できなかった元学生も少なからず存在するものと思われます。
 私は、卒業生の集まり:同窓会:庚子造船会としても大西さんへの感謝の意を表する必要があると考えました。そこで、浜本先生、鈴木先生のお二人に大西さんへの追悼文を寄稿していただきました。ここに、その追悼文を紹介し、大西さんへの追悼としたいと思います。 合掌。
鈴木博善 常務理事(H2)
 
追悼 大西啓二さん  浜本剛実(S41)
 私は大阪大学を退職後、教室の懇親会で大西さんと魚つりの話をすることを楽しみにしておりました。
 今年14日に心筋梗塞のためご逝去との連絡を後日受けました。想像もしなかった突然のお別れでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
 大西さんからは在任中、夏の研究室旅行や水槽試験などの沢山の思い出をいただき、有難うございました。


 
大西啓二さんを深悼する  鈴木敏夫(S38)
 平成二十八年の正月三ケ日も終わったばかりの一月四日、早朝のお仕事をしておられた大西さんは、心筋梗塞により帰らぬ人となられた。大和八木と関空を結ぶリムジンバスの乗客・荷物の昇降アシストをしておられ、朝の2便を見送り、3便目に控室から出てこられないのを不審に思ったバスの運転手により発見されたと奥様からお聞きした。
 若いころは大阪の北河内、瓢箪山の青年団で活躍していた元気溢れる青年であり、その後も体は丈夫で元気な人でおられただけに残念である。
 長い間、水系の技官として働いてくださった大西さんが、大学に就職した頃の話と私と関わりのあった仕事ぶりの一部を記し、追悼の言葉として捧げたい。
 大西さんが大学に来られるようになったのは私が助手になった2~3年後だったように思う。確か、光洋精工をやめてぶらぶらしておられたところを故福岡助手の口添えで大学に来られたと記憶している。
 はじめは図工室と言って製図用紙や製図用機器類を管理し、教授連の講義資料のコピーをする担当であったが、多田納助手の口添えで、技官として故野本先生の実験の手伝いをされるようになった。
以来、操縦性の実験を石橋の池で担当しておられたため、私のいた水槽とは一歩離れた感じを抱いていた。
 ところが、故笹島教授の長年の懸案であったスラストメーターを私が担当し、実船実験を行うことになり付き合いが始まった。はじめは中馬技官が居て手伝ってくれたが、彼が早い時期に退職したため、大西さんに手伝ってもらうことになった。工業高校の機械科出身の彼は太いプロペラシャフトに中心線を書く罫書や、取り付けベルトの締め具合、やすり掛けなど技官としての腕を存分に発揮してくださった。しかし、船のエンジンルームでの油とペンキの匂いには彼は辟易した様子であった。
 次に大西さんと一緒に働いたのは私の道楽で始めた人力・ソーラーボートレースの舟つくりであった。グラスウールの“けばけば”と樹脂の“べたべた”を知っている彼は当初傍観者の立場をとっていたが、学生の時間のやりくりが出来ず、出場が危ぶまれた時、技官の職域を越えて清水技官とともにおおいに手伝ってくださった。成績はめちゃくちゃだったけれど、私としては嬉しいひと時であった。
 石橋の池が使えなくなり、工学部の犬飼池に実験施設が移転するとともに、大西さんも水槽全体の維持管理をされるようになった。そのころから、浜本先生と内藤先生の言っておられた、「技官はスペシャリストとして技術を高め、独立した個人として実験場を切り盛りできる人材たれ」を実行されるようになり、大学が独立行政法人化にされる以前から水槽の安全教育を清水技官とともに行い、学生の事故防止に力を注いでくださった。
 大学の法人化以降、工学部全体の技術職は技術集団として独立し、必要とする各部署に派遣されるシステムに変ったが、各教室所属であった昔のやり方は家庭的なつながりが見え、温かみのあるシステムであった。現在は技術職自体が定員削減で減少し、且ってあった気楽にお願いできるような技術支援は難しくなってしまったようである。大西さんへの思い出も消えてゆきかねない。深悼するとともに一文として残したい思い出である。 合掌。
post by 庚子造船会編集者5