関水康司氏のIMO事務局長当選を祝う

2011年08月03日(水)
先日お伝えしました関水氏(S50)のIMO事務局長選出を祝しまして、海洋政策研究財団の工藤氏(S43)からご寄稿いただきました。



関水康司氏のIMO事務局長当選を祝う

 

平成23726日(脱稿)

工藤栄介(昭和43年卒)

(海洋政策研究財団・特別顧問)


 

(朗報到る)

628日(火)夕刻(日本時間)IMO(国際海事機関)理事会において次期(201211日から4年間)事務局長に関水康司氏(昭和50年卒)が選出されたとの朗報が入りました。翌29日の各紙、報道で気づかれた方も多いのではないでしょうか。関水氏の大学研究室先輩として、そして職場の先輩の一人として、本稿を起こさせていただきました。

 

(同氏略歴)

先ず関水氏を紹介します。同氏は1952年生まれ、横浜出身。昭和50年学部を、52年修士課程(松浦研究室:船舶振動)を終了後、運輸省(現国土交通省)に入省。長崎支局、本省海上技術安全局安全企画室、()日本造船研究協会、運輸省大臣官房海洋環境課、外務省経済局経済協力2課、本省海上技術安全局安全基準課を歴任した後、1989年からIMO海上安全部で働き始めます。2000年海洋環境保護部長に昇進、2004年から現職の海上安全部長(IMOでの位としては事務局長に次ぐ高位)に就任しております。
 


関水氏 ~海洋政策研究財団にて~

 

(その時代)

同氏が運輸省に就職した当時の我が国経済社会を振り返りますと、第一次オイルショック(昭和49年)の後、所謂“造船のタイムラグ”をもって次第に就職人数が制限され始めた時代であります。このこともあってか役所への就職にも学生はいよいよ目を向け始めたようであります。しかしながら、以前からどちらかというとアンチ中央思考の強い阪大からは公務員になる者が少ない上、人事院が行う国家公務員試験は受験から採用決定までに時間がかかり、民間会社の採用決定とタイミングが合わないこともあって、公務員になる者は決して多くありませんでした。

 

私事になりますが、小生卒業の昭和40年前後は高度成長期の真っ直中、英国をそして全欧州を凌駕する造船最繁盛期でありましたから、優秀な卒業生は皆民間(造船所)に行って役所なぞ見向きもされなかった時代でもありました。中村彰一先生が小生の国家公務員合格を知るや、ガッカリした様子で「君が役所に行くのか?」と嘆いていたのを思い出します。中央を知る先生にしてみればもっと優秀な奴に行かせたかったのでありましょう。中央の役所が何をやるのか?何にも勉強してないわけですから、先生のこの一言が正しかったと感ずるのは霞ヶ関で働くようになってからであります。

 

 

関水氏と同じ頃、そして彼に続いて、吉川正道氏(51)、染矢隆一氏(51)、川井啓裕氏(51)、関元寛至氏(52)、西条憲一氏(52)、澤山健一氏(52)、安藤昇氏(53)、白井精一氏(53)、秋田努氏(54)、今出秀則氏(55)、瀬部充一氏(55)山崎壽久氏(55)等が陸続と運輸省に就職をし始めます。彼らは現在役所の内外で大活躍中であることは皆さん知るところであります。(註:数次は学部卒年次)

 

(IMOとは)

庚子造船会員の方々には釈迦に説法でありますが、IMOは、海上の安全、海洋環境の保護など、世界の海事問題を取り扱う為に1958年に設立された国連の専門機関(本部ロンドン)であります。国連事務総長は現在韓国の藩基文氏。国連事務局の長として活躍された日本人としては明石康氏や緒方貞子氏(元国連難民高等弁務官)を思い出す方も多いでしょう。専門機関の長としてはUNESCO前事務局長(19992009)松浦晃一郎氏(アジア人で初めて)、他にIAEA(国際原子力機関)事務局長(2009~現在)として天野之弥氏がおられます。IMOは国連の専門機関の中では組織・規模的には小さいのですが、ここで合意された国際約束(条約など)は、海運、造船(舶用工業)、港湾、船員、船舶保険、船級などの海事社会に大きな影響を与え、各国を律することになります。

 

タイタニック号事故(1912年:来年でちょうど100年)を契機として海上の人命安全の為の国際規則の必要性が認識され、又、戦後はタンカーの運航と事故による油汚染防止対策が叫ばれ、IMOは漸次その活動を広げて来ました。最近では海賊問題、バラスト水問題(外来生物の越境問題)、船舶からの排気ガス問題(酸性雨や温室効果)などが加わり各国の利害は益々複雑化しております。国際規約は基本的に各国政府間の協議によって作られて行きますが、合理的で且つ実効性のある、即ちどの国も守りたくなるような国際ルールが生まれるかどうかは、IMO事務局職員の経験や力量に負うところが大きいのであります。各国の合意形成を主導して行くのは将に事務局長の一番の仕事であります。

 

私は、我が国の戦後の復興は海運・造船の両輪なくして進まなかったと信じ、且つ、この産業が今も世界に多大の貢献をなしていると信じる一人であります。とりわけ海事分野での国際規則に我が国が果たしてきた貢献は実に大きいものがあると自負もしております。

我が国イニシアティブで出来上がった国際規則としては、近年では塗装管理(TBT禁止)、タンカーのダブルハル化、油濁保障基金改訂、シップリサイクル(解撤)などが上げられます。

 

(事務局長選挙)

IMOの事務局長は、理事国40カ国が集まる理事会で4年ごとに選出され、直近の総会(今次はこの12月)の承認を得て決定されます。今回選挙は昨年の秋からオープンとなり各国から6名の候補者が名乗りを上げる中での選挙戦となりました。結局、関水氏は2位に大きく差をつけて圧倒的な勝利を勝ち取りました。

 

今年69日、選挙を目前に日本海事新聞のインタビューに応じた関水氏は、紙面で次を訴えております。「IMOは今後とも世界基準での国際ルールを考案・実施してゆく」(これは世界の何処かが勝手に地域規制をやり始めたら結局は世界海運の為にならないことを主張したものであります)、「海賊対策を地域ごとに」(この問題には地域の人々が独自に対策を考えることが重要で、そのためにもキャパシティービルディングが大切)、「正確な情報提供を継続」(特に福島第一原発関連でIMOとしての役目を強調したものであります)、「(GHG)排出量測る技術基準を」(気候変動問題でもIMOが率先して模範となる技術的手法をまとめてゆく)(注:カッコ内は筆者の註) 

 

(故野本謙作教授への謝辞)

関水氏は選挙戦直後のスピーチで、次のように語っております(原文のままここに掲載します)。

           Mr. SEKIMIZU thanked Members of the Council for electing him and expressed his appreciation to the Japanese Government for its support. The election process had helped him to orient his work towards the future. He expressed his particular gratitude to the late Professor Nomoto, professor at Osaka University, Japan and Professor Emeritus of the World Maritime University, and the late Mr. Sasamura, [the former IMO Assistant Secretary-General], both of whom had greatly influenced his life and work and given him unfailing support. He also thanked his wife, son and daughter for their moral support.

 

           It would be his duty as Secretary-General to strive to unite the Organization – to combine its forces and to bridge its gaps –  to enable it to meet present and future challenges. He urged Member States and the Secretariat to join forces in order to ensure IMO’s successful future.

 

           He expressed appreciation to the Secretary-General for his guidance and friendship over almost 22 years and for his efforts to ensure a smooth transition to the new administration. As the new Secretary-General, he would need to forge a new relationship with the Organization’s staff; as an individual, however, he would never change. He looked forward to working with Member States and the Secretariat and to turning a new page in the history of a great organization.

 

IMOの動く辞典と言われ世界中から尊崇された故篠村義夫氏(本年524日逝去)と並んで、故野本謙作教授に対する感謝が、各国代表者を前に述べられました。私も野本先生の御縁で、現在も尚WMU(世界海事大学)の案件に関与させていただいております。




故野本謙作教授

(お祝いに代えて)

 721日(木)一時帰国した関水氏を囲んで、国交省食堂にて国交副大臣、大臣政務官、海事関係者など多数が参加し、祝賀会が開かれました。挨拶に立った関水氏は、「各国の人脈と日本全国の海事関係の絶大な御支援、そして永い日本海事の歴史なくして、今こうしてここに立つことが出来なかった」、「IMO奉職以来22年に亘って日本と一緒に仕事をしてきたが、これからは日本人として働くことが日本のために役に立つと思っている」と挨拶されました。

 



著者(左)と関水氏(右)~祝賀会にて~

 

今般の快挙は同氏の類い希なる国際人としての資質と永年に亘って培った合理性を尊ぶ精神があったればこそであります。しかしながら、ご本人も述べておられるように私は我が国海事社会の総合力がなくしては今回の慶事はあり得なかったとも考えております。即ち、官邸、主務大臣(外務、国交)に始まる行政府上げての取り組みと、日本財団を含む海事関係諸団体の全面的な協力、支援、連携があったればこそであります。

誰よりも御本人が、我が国海事社会が引き続きその国際競争力を維持し、世界に貢献してくれることを願っているに違いありません。

                                    (了)



 

 

 
post by 東京支部HP担当