船舶海洋6つの職場(飯島一博)

2015年05月07日(木)
船舶海洋6つの職場(飯島一博)
 
1.はじめに
橋本博公先生の原稿に引き続きとなりますが、私も日本学術振興会「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」の一環として、2013年4月よりフランス・ナントにあるECN (Ecole Centrale de Nantes: ナント中央理工科高等大学)に半年間滞在しました。また、2014年4月よりノルウェー・トロンハイムにあるNTNU(Norges Teknisk Naturvitenskapelige Universitet: ノルウェー理工大学)に半年間滞在しました。この在外滞在のレポートも考えましたが、他の先生方の報告とも重なることが出てきてしまうので、さあどうしましょう、と思っていたところ、前東京支部長の都藤様より「会員の中でも、異色の経歴をお持ちなので推薦しました」、との言葉を頂戴しました。確かに異色かもしれません。私は阪大に赴任するまでに3つの職場を経験し、阪大に赴任後は二か所での在外研究をしましたので、博士取得後15年の間に阪大を含めて都合6個の職場を経験しています。ということで、やや範囲を広げ、今回は在外研究を含む職歴経験を綴りたいと思います。いずれも私には愛すべき職場です。
 
2.東大助手から港湾研
私は1993年に東京大学の当時船舶海洋工学専攻を卒業し、1998年に博士号を取得しました。指導は吉田宏一郎先生でした。ご存知の方には分かっていただけると思いますが、ダンディで紳士な先生で、研究テーマが魅力的だったことに加えて、そのお人柄に惹かれたから、卒論で配属されて以来博士まで進学することを選んだのだと思います。研究テーマは超大型浮体の波浪中弾性応答解析。当時の論文の書き出しは「首都圏のオフィス需要逼迫に伴う沿岸域の用地の不足…」。若い会員は想像もできないでしょう。超大型浮体は都市部の用地不足を解消し得る最善の解でした。研究テーマはキラキラ輝いていて学生に最も人気が高かった、と記憶しています。研究室配属後、応答シミュレーション予測を行い、実験をしてみると悉くシミュレーションの予想が実験と当たる。私が研究にのめり込んだのはその辺りだったかもしれません。学生時代の話はさておき、吉田先生に教えていただいたことの一つを要約すると「必然性を考えて行動しなさい」、でした。人生の節目の場面ではいつも思い出す言葉です。
博士過程終了後、吉田先生の下でそのまま助手を1年半ほど勤めました。半ば学生気分のまま、自分より幾分若いだけの学生の勉学の手伝いをするのは楽しいものでした。手伝いというのもおこがましく自分も一緒に勉強させてもらっていた、という方が正しいかもしれません。そんな生活も横須賀にある港湾技術研究所(当時、運輸省の研究所、現在は独立法人港湾空港技術研究所)を紹介してもらい、面談を受けに行ったことで終了。ここで3年間のいわゆるポスドクを過ごすことになったのです。
港湾技術研究所と聞いて首を傾げる方もいるかもしれません。そもそも土木技術の研究所であって防波堤など港湾施設を研究対象とする運輸省管轄下の研究所です。実は、係留施設の研究でトップの機関でもあるのです。「浮体の最後の問題は係留だ」、との恩師の言葉から、超大型浮体の係留問題をやってみたいと思うようになっていました。
横須賀の港湾技術研究所に赴任してみると別世界でした。ひとつには大学と研究所の違い。学生とほとんど変わらない助手時代から研究員となりようやく社会人になれた、という感慨がありました。もう一つは場所の違い。それまでの都内のワンルーム暮らしから、思い切り海を感じられるところにしようと意気込み、必ずしも勤務先に近くはなかったのですが、当時新婚の家内と鎌倉の丘の上の少し田舎っぽい新居を選びました。週末に海沿いを車で走ると、湘南鎌倉の太陽はまぶしく、海は青く、山は清々しく、寺巡りも心躍り、今思い出しても実に楽しかった。最後の大きな違いは船舶と土木の文化の違い。土木の世界は広く、港湾研究所に出入りする職員・業者のレンジも広い。この点、船舶系は出身学校がほぼ限られます。同じ職場の20歳の若い職員などは九州の高専を卒業して数年の年齢にして、現場での人あしらい、居酒屋での店員あしらいなど当時の私に比べて実に貫禄があり、これは敵わないと思いました。企業から研修として短期滞在している方も多く、お互い新参者同士自然と交流会が多くなりました。お陰で深酒することも経験し、気付くと曙の薄明かりの下、酔っ払った挙句に気付くとどこで買ったかわからないりんごジュースを自宅前に持って立っていた、という事件(?)もありました。
船舶と土木の違い、これは基準・ルールにも見られます。船は基本的に薄い鋼板を組み合わせて組み上げていく特殊な構造物。局部の基準が相対的に重要で、作業者は基本的に鉄の職人です。一方で土木構造物はコンクリート+鉄の世界。構造物も多種多様で、ごくアンプルに万が一のことがあっても一般人の安全を広い視点から確保する。作り手も一部の専門職はありえても基本的にいわゆる土方仕事です。今思うと船舶の世界を外から眺める視点を持てたことはラッキーでした。研究はメガフロートのプロジェクトが続いている中で、「メガフロート情報基地実証試験」の係留装置開発に携わることができました(写真1参照)。メガフロートは地上が地震など災害に遭遇した場合でもデータ情報をバックアップします。新婚の生活に研究に充実した日々でした。
一方でアンラッキーだったことも。まず、初めから覚悟していたことでしたが、採用が期限付きの職種であったこと。3年後には次の職場を探さねばなりません。新卒でもなく、かといってまだそれほどの成果のない研究者にそう簡単に次の職場が見つかるわけがなく、期限の3年が近付くに従い気持ちが滅入りました。「自分は必要とされていない」、考え出すと止まらず堪えました。もうひとつは羽田空港の三番目の滑走路を「埋め立て」にするか、「杭式」にするか、「浮体」にするか本格的に議論した時期と重なっており、「埋め立て+杭式」のハイブリッド案の採用がすでに濃厚となっていたことです。自分の研究していた浮体案が残酷にも否定さていくプロセスを目の当たりにし、それは携わる若手研究者には辛いものでした。港湾技術研究所を退職するころには研究者として少し自信を失っていたのかもしれません。でも、恨みごとはありません。当時の上司を含めて関係者にはお世話になりましたし、今でもよい関係を続けています。


写真1「メガフロート情報基地」
 
3.日本海事協会時代から阪大まで
あとは放浪の旅しかないなと思っていた土壇場に、なんとか日本海事協会に中途入会できました。入会したときに言われたのは「あなたは少し薹の立った新人だから」。他意はなかったと思いますが、船のことなどほとんど何も知らないので周りも扱いに困っただろう、と想像に難くありません。でも技術研究所に配属され、大学時代の先輩や後輩に顔を合わせると、「なんだ、みんなここにいたのだ」という思いが湧きあがりました。港湾技術研究所時代は船舶海洋の世界からいったん離れ、土木の世界への転校生のような気持ちだったのですが、また元の場所に転校してきたという気がしました。一時期は土木の世界で頑張ろうと思っていたのが心機一転、船の世界で頑張ってみようという気概が湧きました。
本当に船のことを知らなかった。大学で船舶海洋工学を専攻こそしましたが、私の意識では「海洋工学」を専攻したのであって、船舶を学んだのはせいぜい学部2年ごろまで。東大の船舶海洋は途中から船舶コースと海洋コースで別れ授業内容も違っていました。海洋工学は最先端の解析や理論を用いた日本がこれから目指すべき道、船舶は経験ベースで積み上げられすでに確立された工学、よって「船は退屈」。そんな意識さえあったのです。渡された日本海事協会の研修資料に目を通すうちに基礎力欠如に気付き、こりゃあいかんと思って、大学時代の教科書・資料を引っ張り出して読み直しました。このときに船舶工学を勉強し直す機会が与えられたのは良いことだったと思います。
 私が日本海事協会の技術研究所で携わらせていただいた仕事は後に公開された「コンテナ運搬船の構造強度評価ガイドライン」のうち特に曲げ捩り強度評価法の開発部分でした。耐航性理論に基づいた最新のシミュレーションから計算される荷重分布を与えて船体構造解析した結果を用いて、船体構造強度評価に最適な設計荷重を導出する、というような内容でした。苦労したのが捩りモーメントの分布形状と複合応力(縦曲げ応力+水平曲げ+そり応力)の組み合わせでした。頭の中を常に設計荷重が回っている状態が続きました。造船所の技術者と交流させていただいた時に、「コンテナ船はいわばティッシュペーパーの箱(構造の上面が開いている)だから...」という言葉が出てきたので、いつもティッシュペーパーの箱をイメージして変形や応力状態、荷重分布を想像していました。
 このイメージは後に研究所の発表会や技術説明の委員会の場で役に立ちます。家内にティッシュペーパーの箱に手で捩りモーメントを与えてもらい、変形する様子を動画で撮影し上映したら(写真2参照)、大いに受けました。こういう身近な素材で本質的な挙動を教え、イメージを持ってもらうのは大事だな、と思います。手ごたえを感じると自信も出てきます。そのうちティッシュペーパーの箱はさらに製氷皿に代わり、製氷皿から氷を落とすのに縦曲げモーメントではなく捩りモーメントを使ってそり変形させる、と説明する、というようにアップグレードしていきました。
 「曲げ捩り強度評価ガイドライン」の仕事が終わると、当時動き出していたばら積み貨物船の共通化規則のとりまとめ作業に携わらせていただきました。コンテナ船の曲げ捩りの知識は引き延ばされ、共通化規則案の各所に目を通し議論する機会が増え、船の規則全体がおぼろげに把握できたのがこの頃です。思えばそれまでの人生で一番追われて勉強をし、それが身に付いて、仕事にも繋がった時期でした。こうして充実した日本海事協会での日々は過ぎて行きました。








写真2 ティッシュペーパーの箱と曲げ捩り

あれほど退屈だと思っていた船の世界が面白いものであることと、教えることが楽しいこと、に気付きだした頃、阪大の助手のポストがあると聞きました。私にとっての船の面白さ、ここで書いて伝わるかどうかわかりませんが、①様々なレベルでの設計・建造技術がお互いにせめぎ合っていて最適化具合のレベルが高いこと、②それを解析する理論が積み上げられ緻密であること、③強度でいえば巨大な構造物であるのに安全性は局部的な部材の挙動で決まることの意外性、④そしてそれに携わる人々の高潔さ(褒めすぎ?)、あたりでしょうか。
当時、日本海事協会での仕事は不満なくむしろ自分に向いているとも思っていました。自分は日本海事協会で船を突き詰めるのか、大学で船の研究・教育を突き詰めるのか?さらには自分の過去から未来を考えて今どの選択をするか?「必然性、必然性」。考え込みました。自分の経験を最も活かせて、畏れながらも世の中に役に立てるところはどこか?最後は自分が何を楽しいと思うか?その結果、阪大の助手という選択をしました。その一方で、当時の職場の方々には迷惑も与えてしまった。これは未来でお返しするしかありません。こうして2004年の11月に大阪大学に赴任してきました。すでに三つの職場を経験し、33歳になっていました。
 
4.海外での生活
 阪大に勤めだしてあっという間に10年が過ぎました。大学の教員の仕事がどういうものかわかった上で赴任したつもりでした。その想像以上に仕事のレンジが大きく音を上げそうになることもありますが、伸びていく若い学生を指導し、自分も学ばせてもらえるという、他の職場にはない面白さを味わっています。大学の教員の評価はどれだけ業界や学界に役立つ人を育てられたか?が最後の尺度だろうと思います。単純計算しても10年の間で相当な数の学生と過ごしてきています。彼ら彼女らが良い日々を過ごしているか?頑張っているか?をふと思ってみたりします。活躍を遠い便りにでも聞くとうれしいものです。
この記事は教員の近況報告も含むのだろうと思います。私の方はどうか?日本海事協会から阪大に来るとき、研究では信頼性・リスクで行こうと思っていました。広い意味でこれに外れないことをやらせていただけていると思います。その成果はジャーナルなどで見てもらうとして、ここ数年の出来事で言えば、冒頭に述べたように2013-2014年までの二年で二回×半年の海外滞在をする、いわば“おまけ”がついてきました。これが私の知っている5番目、6番目の職場ということになります。実は2006-2007年にもNTNUで一年間海外滞在しているので通産2年の海外滞在をした、ということになります。
2013年4月から9月の末までの半年は、ECN(Ecole Centrale de Nantes, France)に滞在しました。ナント(Nantes)のことは橋本博公先生がすでに詳細な記事にされているので、重複しないように書きます。橋本先生と同じく頭脳循環プログラム(略称)の一環で、ECNのLHEEA(Laboratoire de Recherche en Hydrodynamicque, Energetique et Environment Atmospheique; 流体・エネルギー・大気環境研究所)にお世話になりました。強非線形流体解析に用いられる粒子法(SPH)の研究で世界最先端を行くECNといわゆる構造系教員である私の接点は小さかったかもしれませんが、ひとつには流体・構造連成は今後も大きな研究テーマになり得るので、流体力学を勉強し直してみたかった。もうひとつは頭脳プログラムでは行き先としてNTNU かECNのどちらかを滞在先に選ぶようになっていました。NTNUはすでに1年間の滞在経験があったので、新しい経験をしたかったのです。
滞在開始当初はある意味お互いに接点探しのような状態でしたが、最終的に大型洋上風車構造物の実験を実施するということで落ち着きました。それを解析するツールについてもECNのDr Pierre-Emmanuel Guillerm氏に流体解析部分のコードを提供してもらい、構造解析コードについては私が提供し、両者を合わせて流体・構造連成解析ツールを完成させました。一旦帰国した後の2014年3月に再渡仏し、模型実験を実施しました。非線形波浪荷重による同調現象が顕著に観測され、参加者一同あまりの見事な振動に見惚れました。このときは阪大の学生数名も連れて行き、実験に参加させたので、学生にも良い経験をしてもらうことができました(写真3)。今後も共同研究が続いていきます。詳細は書きませんが、フランスの食生活はとても私に合っていたようで、中年太りに紛れて半年の滞在の間に10%ほども逞しくなりました。
 

写真3 ECNでの実験の様子
 
フランスでの実験から帰国して直ちに、今度は半年の予定でNTNUに滞在するために日本を発ちました。以前の2006年から2007年滞在当時はCeSOS (Centre of Excellence for Ships and Offshore Structures)が活動全盛の頃でした。そのCeSOSも2012年にすでに解散し、当時お世話になった先生も退官し、ずいぶん変わっているだろうと予想していました。ところが、CeSOSこそなけれ、後継のAMOS(Centre for Autonomous Marine Operations and Systems)が設立されており、以前お世話になったProf. Moanもご健在で指導をされていました。退官されたProf. Moanは新しいプロジェクトこそ負わないものの、研究指導と授業の一部は続けるということでした。滞在中はProf. Moanと大型浮体式橋梁など大型浮体構造物の崩壊挙動の研究を行いました。
同年5月末にProfs Faltinsen & Moanの退官記念パーティがありました。量と質と双方で国際会議をはるかに超える名だたる研究者が集まる会でした。卒業生はみな揃いのTシャツを着ており、PhDの指導番号順の番号がついているのでした(写真4参照)。その数50を超えるほどあったでしょうか?そして名前の知られた人の多いこと。まさしくThe Professorなのだ、と思いました。阪大からは同じくNTNUで過ごされた藤久保先生、頭脳循環プログラム代表者の柏木先生、神戸大の小林英一先生、頭脳循環プログラム派遣研究者で同時にNTNU滞在していた神戸大の笹先生、千賀先生(阪大)、大阪府立大の生島先生に加えて橋本先生が出席してこれを祝いました。圧倒もされましたが、Prof. Faltinsenの親友代表で内藤林先生(阪大名誉教授)が祝辞スピーチを述べ、Prof. Moanご自身のプレゼンテーションの中ではNTNU名誉教授でもある上田幸雄先生の業績に触れていました。NTNUにおける阪大と日本のプレゼンスが確認できてホッとした瞬間でした。
この他に圧倒されたのは、Ocean Space Centreという現存のMARINTEK(Marine Technology Research Institute)の受け皿機関となり、さらにその倍の規模の設備とスタッフを有する研究所をノルウェー政府に設立申請中であるとのパーティ中のアナウンスでした。MARINTEKはすでに船舶海洋工学分野ですでに巨大な存在ですが、さらにその先を目指すのでしょう。豊富な石油資源を背景にもつノルウェーなら実現しうると思います。彼らが提示したOcean Space Centreの核となりうる次世代の5本の柱、①IT Ship (情報技術と船の統合), ②Subsea(パイプラインなど海底機器工学), ③Polar(極地資源工学), ④Aquaculture(水産資源機器工学), ⑤Renewable Energy(再生可能エネルギー)は、日本の船舶海洋工学の次の技術を考える上でも何かのヒントになるキーワードだ、と思います。折しも退官記念パーティのあった翌日はノルウェーの建国200周年の記念日でした。パーティでNTNUの過去・現在・未来の姿に打ちのめされた後、写真5のような美しい民族衣装による華やかなパレードを眺め、日本の必然性はどのあたりにあるか?考えて過ごしました。
 

写真4 Profs Faltinsen & Moanの教え子たち



写真5 トロンハイムで迎えたノルウェー建国200周年記念のパレード
 
5.まとめ
恥ずかしながら私の博士課程終了後の転がるような15年の経験をまとめました。ベテランの先生方が人生を振り返るのならともかく、私にはまだ少し早かったのかもしれませんが、懐かしい写真・資料を漁る良い機会にもなりました。職場を変わるというのはなかなか思い切りのいるものです。私の場合は、そうせざるを得なかったこともありますし、自分で選んだこともあります。ついでに、ノルウェーやフランスの職場も覗かせてもらいました。自分が幸運に思うのは方々移ったにも関わらず、どの職場の経験も無駄になっていないこと。点が線で繋がるように、今の活動に一本にたどり着き、必然性を感じながら働くことができていることはあり難いと感じています。最後になりますが、これまで各職場でいろいろな方にお世話になってきました。現在の船舶海洋工学部門のスタッフの方々にも然りです。紙面を借りて厚くお礼申し上げます。
 
船舶海洋6つの職場(飯島一博)
post by S43 荻野