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 私が阪大造船の修士を終了した1975年は日本の造船業に最も勢いが有り、世界の建造量に占める日本のシェアは50%を超えていました。これに対して韓国や中国のシェアは1%のオーダーに届くか届かないかという状況であり、日本とアジアの発展途上国との間には明らかな力の差が有りました。当然ながら、当時の日本には学ぶべきものが確かに存在しておりました。しかし、その後は世界的な経済の低迷の影響などで日本の建造量は減少の一途をたどる一方、韓国・中国の経済的発展は目覚しく、2000年には韓国に建造量で首位の座を明け渡し、2010には中国が首位に躍り出る状況となっています。このような状況は造船に限らず、家電や鉄鋼などさまざまな産業で同じように進行しています。幸いなことに、統計で見る限り1980年代後半以降、日本の建造量は増加を続け、2010 年の建造量は過去最大の2,017 万総トンを記録しています。長期にわたって苦戦を強いられている造船業が依然として20%を超えるシェアを維持している事実は造船に関係するものとして頼もしく思えます。とは言うものの、日本の産業や大学の相対的地位や求心力の低下は否定することができない現実です。その結果、最近では韓国やシンガポールからの留学生が減少し、インドネシア、マレーシア、バングラディシュなど発展の時期が遅れている国々からの留学生が増えているように思えます。

 転換期を迎えた日本の政府は何を考えているのかと思い、普段はほとんど縁が無い文部科学省のホームページを見ますと『グローバル化等に対応する人材力の強化のため、日本再興戦略及び第2期教育振興基本計画において、外国人留学生を14万人(2012年)から2020年までに30万人に倍増させることを目指し、これと併せて日本人留学生を6万人(2010年)も2020年までに倍増させることを目指しています』と書かれています。物事には、目的と手段がありますが、単純に割り切って考えると、この場合は『留学生倍増』が手段で、『人材力強化、日本再興、教育振興』が目的になるのでしょうか。手段には量と質の両面があり、まず量を倍にすることはひとつの前進でしょう。次に、考えなければならないのが質の問題であり、求めるべき質は目的が何であるのかによって決まります。そこで目的に注目すると、最終的な目的は『日本再興』であり『人材力強化、教育振興』は最終目標を達成するための要件として位置付けるべきものでしょうか。
 そのような理解の下で留学生受入れの意味あるいは目的を考えると、おおよそ
  ①発展途上国や後進国の人材育成を援助し、将来の産業および人的パートナーの形成、
  ②優秀な人材として留学生を国内で雇用(新しい血の導入)、
  ③留学生との交流を通して日本人学生の国際化、
  ④先進国も含めた本当の意味での学術交流
の4種類に分類されますが、ここでは①に絞り考えてみたいと思います。

 私が助手として大阪大学の溶接工学研究所(現在の接合科学研究所)に戻って来た当時(1985年頃)に教授の上田先生から与えられた仕事のひとつが、中国やインドなどから来られた先生方や留学生のお世話でした。私自身も留学していた折には、指導教授や日本人ポストドック、先輩の留学生にずいぶん助けて頂いたという経験があり、逆に日本から招聘教授として来られた先生方のお世話をさせて頂いたという経験がありましたので、何の抵抗感も無く、外国から大阪大学に来られた先生や学生をお世話させて頂きました。その経験は、今の私にとって非常に貴重な財産となっております。

 造船学科でも外国からの学生や研究者を受け入れ、その結果、多くの学生が学位を取り本国に帰り、今ではそれぞれ大学や政府機関の要職につかれていますので、発展途上国や後進国の人材育成については大きな成果が得られていると思います。次に大切なのは、将来の産業および人的パートナー形成です。そのためには、今までに送り出した卒業生との関係を継続することが必要です。一度交流が途絶えるとこれを再構築するのには余程の努力と時間を要します。日本で学位を取って本国に帰っても日本からの支援や日本との持続的な交流が無ければ優秀な人材も孤立無援状態となり枯れてしまいます。逆に日本の私達の状況を考えると、大学で造船や溶接の分野の研究に携わっている研究者の数は減少の一途をたどっています。研究成果は研究者の切磋琢磨から生まれますから、縮小する研究者集団の規模を保つという意味で海外の卒業生との連携はひとつの問題解決の道となります。


第1回WSEの開会式での上田幸雄名誉教授のスーピーチ
 

WSE2005(西安)での参加者一同の記念写真
 

WSE2013(威海)での参加者一同の記念写真
 
 
 そのようなことも考えて、名誉教授の上田幸雄先生と上田研究室で研究を共にした研究者や留学生が中心となり始まったのが、WSE (International Symposium on Welding Science and Engineering) です。第1回のWSEは中国の西安交通大学で2005年に開催されました。写真のように当時は学生も含めて参加者が50人程度の小さなシンポジウムでしたが、その後2年毎に、北京工業大学(2007年)、上海交通大学(2009年)、大阪大学(2011年)で開催され、第5回WSEに当たる今年は孔子の生地として知られる山東省の青島に近い威海(Weihai)にあるハルビン工業大学の分校で平成25年10月11日~14日に開催されました。参加者は約150名と増え、ポスターを含め97件の論文が発表されました。WSEは通常の国際シンポジウムとは少し異なり、歴代のChairmanは大阪大学で学位を取得した先生あるいは大阪大学での研究経験がある先生が担当し、今回はハルビン工業大学の威海分校の校長であるProf. Feng Ji Caiでした。
また、参加者の多くが日本留学の経験者であり、彼らのネットワーク形成の場となっている事も重要な特徴の一つです。今回は、私と麻招へい教授(H6博士)を含め接合研の教員4名、阪大船舶の学生が3名、大阪府立大学の柴原先生(H14博士)と学生が5名、企業から数名参加しましたが、日本勢が数の上で劣勢なのが現状です。

 威海でのシンポジウムの後、阪大造船で学位を取得し現在、重慶大学および重慶交通大学の教授を務める鄧徳安(Deng Dean)教授(H15博士)、梁偉(Liang Wei)教授(H17博士)夫妻から招かれ、初めて重慶を訪れました。海外出張の時はいつもそうなのですが、ともかく講演資料を取りまとめるのが精一杯で、訪問先の観光スポットはおろか地図上の位置さえ確かめる余裕も無く関空を立ちましたので、重慶も西安程度の距離だろうと考えていました。まず、シンポジウムが開かれた威海(Weihai)から3時間の道程をマイクロバスで青島空港まで移動し、飛行機に乗り込み座席のポケットに備えられている航空路線を確認しますと、重慶は西安からさらに西南方向に約600キロも離れていることが始めて分かりました。2時間半ほどの飛行の後、ほぼ定刻の夕方5時に着陸。空港では、鄧さんが出迎えてくれました。彼が親しい童(Tong)教授の運転する車で麻さんとともに市内にある重慶大学のホテルに向かいました。北京や上海の道路事情に慣らされている私には驚くほど車の流れがスムーズに感じられました。

しばらく走っている内に路面に引かれた車線のラインが鮮明で、ほとんどの車が車線を守りながら走っていることに気付きました。運転マナーは北京や上海と比較してずいぶん良く、高速道路などのインフラも予想に反して良く整備されていると言う印象でした。ホテルには30分ほどで到着。婦人の梁さんと中学生の息子の東々君が合流し、中国版フォンデュ(おかゆフォンデュ)を夕食に頂いて就寝。翌日から2日間は、重慶大学と重慶交通大学で麻さんとともに講演と講義を行いました。中国で講義をする時に常に感じることは学生の積極さです。特に麻さんが中国語で講義をする折には、学生に何か質問すると一斉に答えが返ってくるし、学生の方からの質問も非常に活発でした。


国家重大基礎研究「973」計画「高性能マグネシウム合金材料」
プロジェクト展示室(重慶大学)にて
 
 
 重慶では大学の先生や学生に暖かく迎えられましたが、この紀行を書くのにあたり、念のためネットを調べると重慶爆撃と言う記述が目にとまりました。日中戦争当時の1938年から1943年の間に日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する爆撃のことです。この爆撃で多くの民間人が犠牲となったとも書かれていました。恥ずかしいことながら、私はこの事実を知りませんでした。梁先生と童先生は重慶出身であり鄧先生は武漢出身なので両親か、あるいは祖父母から当時の状況を聞かされているかもしれません。そのような彼らは私達日本人をどのように感じているのだろうかとふと思いましたが、私が今までに大学や学会で接したどの中国人も私達日本人に対して非常に好意的であったと思います。同じように私も、両親から戦時中の空襲の話を断片的に聞かされたことはありますが、その現実をわが身のものとして理解しているわけではありません。

 日本と中国、日本と米国では関係が異なりますが、私も1975年から約5年間を留学生としてまたポストドックとして米国のアトランタにあるジョージア州立工科大学で過ごしました。当時は日本も経済成長を遂げ、日常生活において日米の格差をほとんど感じることはありませんでした。しかし、鍵については事情が違いました。大学院学生であっても大学内の研究室があてがわれ、鍵が手渡されました。研究室は大部屋であって出入り自由が常識であった私はオートロックであることに気付かず鍵を部屋に残したままビルの外に出てしまったのです。運悪くクリスマスの休暇中であったため、学科のオフィスは閉まっており、キャンパスには誰も見当たらない状態でした。途方にくれながらビルの周辺を歩いている時に出くわしたのが腰に拳銃をぶら下げたパトロール中のキャンパスポリスでした。助かったと思い状況の説明を試みましたが、最初は問答無用といった様子で、不審者として危うく連行されそうになりました。
そのうちに私のたどたどしい英語と彼の南部なまりの英語が何とか通じ、私が日本から着いたばかりの留学生であり、彼が日本に駐留経験のある退役軍人であることが互いに理解でき、オートロックの問題は無事解決しました。この時、日米が戦った不幸な歴史が頭を一瞬よぎりましたが、終戦から30年を経てかつての敵国に自分が居り、かつての敵兵が目の前にいると言う実感はなく、南部なまりの職務に忠実な老人がいるという感じでした。まさに、私は戦争を知らない子供たちのひとりです。もしかすると現在の中国の若い世代も私と同じなのかも知れません。彼らは過去を歴史としては教わっているが、今現実に彼らの前に立っている人そのものを素直に見ているように思えます。だからこそ私達が、誠意をもって互いに付き合い、互いに尊敬し助け合える関係を地道に築いて行くことが今後の国際関係において大切だと感じます。

 北京や西安とは異なり重慶には特筆すべき名所はあまり有りませんが、大学での講演を終えた次の日は、鄧先生、童先生の案内で観光めぐりをしました。朝から車で出かけ、30分ほどの距離にある重慶市で一番標高が高い縉雲山に登り、山中にある民宿風の家の放し飼いの老犬や鶏が遊ぶ庭で昼食を頂きました。普通の観光旅行では体験できない素朴な中国の日常を体験することができました。夕方は、重慶大学から車で5分程度の所にあり、最近オープンしたばかりの日本風の大規模スパガーデンでお湯めぐりをさせて頂きました。改めて思い返すと、『重慶には温泉が沢山ありますから先生を是非案内しましょう』と大学院生のころ話していたその言葉を忘れずに鄧先生が今回の訪問で実現してくれたのでした。

   
縉雲山にたたずむ九重の塔
 
四川名物火鍋を囲んで
 
 
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柏木正教授が「船舶工学との出会い、恩師との出会い」の最後で少し述べておられましたが、日本学術振興会「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」の一環として、2013年3月13日よりフランス・ナントにあるECN (Ecole Centrale de Nantes: ナント中央理工科高等大学) に1年間の在外研究に来ています。ECN側の受け入れ責任者はLHEEA (Laboratoire de Recehrche en Hydrodynamique, Energetique et Environnment Atmospherique: 流体・エネルギー・大気環境研究所) 所長のPierre Ferrant教授です。実質的なパートナーはSPH (Smoothed Particle Hydrodynamics) 研究で世界最先端を行くDavid Le Touzé教授であり、粒子法に関する共同研究を行っています。具体的な研究テーマは、MPS (Moving Particle Simulation) とSPHの比較検証、MPSへのSPHの先進的スキーム導入、MPSとFEMを組み合わせた強非線形流体・構造連成解析手法の構築、大規模粒子法計算の検証用実験の実施です。Davidは研究プロジェクトを多数抱えているため多忙であり、彼とは一定の成果が出た時点で不定期にミーティングを行っています。Davidの研究グループ DyRaC (Fast dynamics flows and multiphysics coupling) にはポスドク研究員や博士課程の学生が数多く在籍しているので、実務的な問題の解決にあたっては彼らと協力しています。また、DyRaCはイタリア・INSEAN (Italian Ship Model Basin) のSPH研究グループと密接な協力関係にあり、現在もポスドク研究員が1年間在籍しています。
 

ECNの正門
キャンパスは広くありません             
DyRaCグループの主要研究者 
Dr. Marrone, Prof. Touzé, Dr. Oger
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ナントで開催されたOMAE2013
Prof. Ferrant, 柏木教授, Prof. Touzé, Dr. Guillerm
一番お世話になったDr. Grenier
Université Paris-Sudへ転出

 
日本の場合、博士号取得後の就職をどうするかという問題が付きまといますが、DyRaCグループの場合、産業界への就職はもちろんですが、ECN発のベンチャー企業であるHydrOceanに就職することも多いようです。HydrOceanはソフトウェア開発と海洋工学コンサルタントを行う会社であり、博士号を取得した研究者を30名以上抱える一大勢力となっています。ECNと密接な協力関係にあり、LHEEAと同じ建物内に格安料金で事務所を構えていることがよい証拠でしょう。ECNが最新アルゴリズムの研究開発、HydrOceanがソフトウェアへの組み込みや拡充を行っており、このように大学が行うべき研究とソフトウェア化を分業していることが、粒子法研究でECNが世界最先端を行く大きな要因と思います。なお、フランスの工学系で博士課程に進学するには、指導教員が専用の外部プロジェクトを抱えていることが必要条件だそうです。このあたりは、さすが専門分野のエリート育成機関であるグランゼコールといった感じで、学位取得後は即戦力として活躍できるスペシャリストとして扱われます。ちなみに、エリートはフランス語源ですが、フランスでの大学はアカデミックスクールを意味し、グランゼコールこそが実学教育を行う真のエリート養成機関と位置付けられています。理工系の名門グランゼコールとされるEcole Centralには難関な選抜試験を勝ち抜いた優秀な学生のみが入学するため、高いレベルの教育を行うことができるそうです。
 
ECNは教育機関でありながら、研究所さながらの試験水槽を備えています。曳航水槽は145×5×3mと長さが阪大水槽の約1.5倍となっており、片側に最大波高60cmの造波機を備えています。回流水槽は10×2m、最大流量が4m3/sです。最も目を見張るのが、建設されてまだ10年にも満たない波浪水槽です。48分割式造波機を備えた50×30×5mの水槽は、多方向波はもちろん、最大波高1.0mの造波が可能となっています。これだけでも立派な試験水槽なのですが、この波浪水槽は巨大な送風機を備えており、陸上に設置した4個の送風機モジュールから長いダクトホースを介して所定の位置に送風することができます。その設計についてはある社会人ドクターの学位論文として実施され、CFDを駆使した膨大な検討の成果により、高精度の一様風速が実現されるに至っています。技官や実験研究スタッフも複数在籍しており、DyRaCのような最先端の数値計算だけでなく、大規模な実験にも注力しているECNを見ていると、建設後40年を経て水槽の老朽化が進み、技術職員の補充が困難な阪大の現状は少し寂しく思います。最近では沖合20kmに海洋エネルギーの実証フィールドSEM-REVを立ち上げており、今後ECNはますますその地位を高めていくことになりそうです。LHEEAには、DyRaCの他にもいくつか研究グループがありますが、現在、最も人数が多いのは海洋エネルギーのグループです。当然ながら、ポスドク研究員や博士課程の学生が多数在籍していますが、それでも人手が足りないようです。ある研究者はプロジェクトが多すぎると愚痴をこぼしていましたが、原発先進国であるにも関わらず、海洋エネルギー開発でも世界の先端を行くECNに人手と資金が集まるのは自然なことのように思います。
 

回流水槽 曳航水槽 
  
 

波浪水槽   SEM-REV
      http://www.semrev.fr/
  
 
単位人口あたりの教員数が日本よりも少ないフランスでは、常勤の大学教員ポストの競争が激しく、20~30倍程度の競争率が当たり前のようです。また、博士号を取得してすぐに教員ポストに就くことは稀であり、厳しい競争を勝ち抜くため、ポスドク研究員は雇用されたプロジェクトで成果を出そうと必死に努力するので、雇用側にとっても大きなメリットがあります。また、正式に常勤教員として採用されてもHDR (Habilitation à Diriger les Recherches: 博士課程学生指導資格) を取得しなければ、博士論文の主査にはなれない仕組みとなっています。これはつまり、HDRを取得していない教員は教授に昇進できないことを意味しています。HDRの取得のためには、研究業績、教育実績、国際活動、研究予算、プロジェクト運営能力などの項目について、厳しい要求をクリアせねばなりません。そのため、審査にあたっては、膨大な資料の準備に加えて、博士論文の公聴会と同様に多数の審査委員の前で自身の研究(統括)能力が基準をクリアしていることを示す必要があるそうです。常勤ポストを得た後にもこのような厳しい審査が待ち構えており、常に競争原理(エリート育成)が働く仕組みとなっています。
 
ECNでの教育ですが、フランスは1コマあたり2時間の講義となっていて、朝一番の講義は8時開始です。教員側は一日の時間が有効に使えてよいでしょうが、学生の立場からすると早過ぎると感じるかもしれません。ナントの秋冬は日の出が遅いので、本当に真っ暗の中で登校して講義を受けることになります。講義科目にはMATLABやプログラミングの習得、長期インターンシップなどが含まれており、産業界との結び付きが色濃い内容となっています。いわゆる本格的な専門科目(流体力学など)は長期インターンシップ終了後に開始となります。現実的な課題をしっかりと認識した後に、その問題解決手段として専門科目を学習する流れとなっているようです。ECNはErasmus Mundus(欧州での留学奨励制度)のEMShip(高度船舶設計に関する修士課程コース)に参加しており、この受講生に対しては英語で講義が提供されています。アジア人も数名在籍しているのですが、そこに日本人の姿はありません。日本国内では、総じて大学生が特別な困難なく就職先を見つけられる状況にありますので、海外に対する強い意識を抱いている一部の学生以外は、わざわざ海外の修士取得プログラムに参加しないことも当然なのでしょう。近い将来、大学の教育課程を修めただけでは就職ができないような状況になれば必然的に変わるのでしょうが、少なくとも阪大生には海外経験の重要性を認識し、自らの意思で海外に赴いてチャレンジするぐらいの意欲が欲しいところです。
 
ECNでは昼食時間が特徴的です。ECNのキャンパスから歩いて5分ほどの距離にあるナント大学の職員用食堂にランチを食べに行くのですが、職員同士が誘い合って大人数で一緒に昼食をとります。昼食をしっかり食べることはフランス文化のようですが、前菜、メインディッシュ、デザートがセットとなっており、かなりボリュームがあります。昼食を食べながら、職員同士でコミュニケーションを図り、他愛もない雑談から講義や研究、時には政治問題について議論しています。しっかりと時間を掛けてランチを堪能したのち、場所をカフェに移して皆でエスプレッソを飲みます。このように、ECNでは職員同士の距離感が非常に近く、常にお互いの情報が共有されているように感じます。ちなみに、暑くても寒くても太陽が出ている時は外のテラスでカフェするのが王道です。日本ではこのような機会はほぼ皆無であり、組織としての共通認識の形成の難しさに繋がっているように思います。同僚と昼食を共にする反面、一旦仕事を離れると家族、親友との時間になります。家事は夫婦で同等に分担するのが原則のようですが、北欧に比べると縛りが緩いと聞きます。また、子供を持つ夫婦にとってベビーシッターの雇用はごく一般的であり、2人目の子供から税金の控除などでインセンティブがあるようです。3人目からは大幅にインセンティブが上がるようで、出生率が欧州で2番目に高いことも納得です。このような経済的な支援だけでなく、街中を走るトラムやバスではバリアフリーが徹底されていますし、小さな子供連れに対しては誰もが席を譲ってくれます。階段で困っていれば自然とベビーカーを担いでくれますし、子供が道端で転んだりすると親よりも先に駆けつけて抱き上げてくれます。こうした子供に対する根本的な接し方の違いこそが、日本とフランスの出生率の大きな差となっているのではないでしょうか。
 
長い夏休みは欧州の特徴ですが、フランスの場合、一般的な企業人であれば5週間程度の夏休みをとるそうです。彼らになぜ働くのかと尋ねれば、自分の人生を楽しむためのお金を稼ぐためと明快に答えてくれます。阪大ではお盆休みに3日間のお休みをくれますが、長期で休みをとることは憚られます。ECNでは8月に3週間近く大学が閉鎖されて入構できなかったので、否が応にも(この感覚こそが日本人なのですが・・)長期の休みをとることができました。このような夏季休暇だけでなく、通常の祝日でも大学は閉鎖されていて中に入ることはできません。休みの日はしっかりと遊び、人生を謳歌して、明日への活力を得るといったところでしょうか。日本人の私はこの切り替えに慣れていないせいか、3週間の夏休み明けにはなかなか仕事に集中できませんでした。
 
ナントはフランスで6、7番目に大きな都市ですが、私が小さい頃の日本に近い懐かしい印象があります。それは建物や車が少々古めかしいという意味も含みますが、人々があくせくすることなく、季節の移り変わりを感じながら、家族や親友、そして自分の時間を大切にしていることです。日本はあらゆる面でサービスが行き届き、生活するには非常に便利で不満はないのですが、こうしたある意味で過剰なサービスと多種多様な娯楽の存在が、必要以上に時間を浪費させ、人と人との繋がりを希薄にしている、そんな風にも感じます。今回の滞在では、妻と2人の娘が一緒なので、家族との貴重な時間を過ごすことができています。特別なアトラクションや大型百貨店に行かなくても、一緒に食事を楽しみ、好きなだけ語り合い、飽きるまで子供達と遊ぶ、そんなごく普通の生活を楽しんでいます。フランスのワイン、チーズ、バゲット、チョコレートが美味しいことも、ゆっくりと家で過ごしたくなる理由なのかもしれませんが・・。
 

ナントの街並み   Les Machines de l’îleの象
  
 
 
ナントに長く居すぎたせいか、後半は少々フランス贔屓な内容になってしまいましたが、日本ほど住みやすい国はないという考えは変わりません。日本でフランス流の考えを取り入れたうえで生活したら、きっと素晴らしいだろうと今から楽しみにしています。
 
最後に、このような貴重な機会を与えてくださった柏木教授を始めとする頭脳循環プログラムの関係各位、長期滞在を快く許可していただいた船舶海洋工学部門の先生方、事務の皆様に深く感謝いたします。
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庚子造船会ニュースのバックナンバー(第32号~39号、42号)を当ホームページにアップロードしました。
「会員サービス」>「庚子造船会ニュース」よりご覧になれます。(会員限定)
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小川剛孝氏(平成2年卒 (独)海上技術安全研究所構造系構造基準研究グループ長)におかれましては、平成25年7月15日付けで「海の日」海事関係功労者大臣表彰を受賞されました。本表彰は国土交通大臣から海事功労の顕著な方々に対して表彰されるものです。小川氏は大型コンテナ船等を設計・建造するために必要な構造強度評価手法を開発・実用化され我が国造船業の発展に寄与された功績を称えられました。
 
詳細は以下のサイトをご参照ください。
国土交通省HP
http://www.mlit.go.jp/report/press/kanbo03_hh_000113.html
 
海上技術安全研究所HP
http://www.nmri.go.jp/cgi-bin/nmri_news/topics.cgi#72
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9月12日に開催した東京支部役員会のご報告をします。
 
今回は長崎に転勤される伊藤氏の送別会と、新人4名の歓迎会を兼ねての開催となりました。
会場はいつもの田町ニュートーキョーです。
 
本日の出席は下記の15名でした。
都藤、田中(豊)、工藤、瀬崎、井元、今出、尾形、杉本、伊藤、土橋、渡邊、權野
(NK新人3名)小阪、山口、藤本

詳細写真はこちらをクリック! (pdfファイル 約320kB)


議事の概要は次のとおりです。

1.東京支部役員の交代 
 伊藤さん長崎転勤のため退任されます。後任は田中さんの推薦で、坂本利伸さん(S53/55)MHI(OB)に決まりました。
なお、伊藤さんは名簿・編集管理委員会委員を継続されます。
 
2.東京支部総会
 鈴木先生から、大学の卒論・修論発表が平成26年2月18~20日に行われるとの通知があり、例年その翌日に東京支部総会を開催しているので、平成26年2月21日(金)に開催します。
既に、日本工業倶楽部の会場を予約しました。
 冨田理事長及び柏木正教授に出席していただく予定です。講話(1)を柏木教授にお願いします。
講話(2)をどなたにお願いするか、検討することになった。
 
3.「ニュース45号」12月発行
  次号は全8ページで、例年の通りならこんな内容になります。(藤本委員長提案)
(1)海の日イベント報告
(2)東京支部行事報告(下記4項参照)
(3)研究室紹介(第6講座)
(4)異分野からの投稿(NKKから証券業界に転職された会員に投稿を依頼する)
(5)年度別同窓会報告(2件)
(6)その他(母校便り、HP委員会ほか)
 
<新シリーズについて>
研究室紹介もあと2件で終わりです。
異分野からの投稿も、そろそろ種尽き気味です。
それで、新しいシリーズを考えなければなりません。
皆さんのご意見をお願いします。(今回、下記の対応を行うことになった)
・他大学事情(他大学の先生から)
都藤の同級生の小瀬邦治君(S41、広大名誉教授)に「阪大の研究室時代から広大での研究、教育、国際交流等について」の趣旨で投稿を依頼した。小瀬先生はこれから原稿を作成の予定で、内容によってはホームページ「先生方から」に掲載してはどうかと考えています。
 
  <ニュース編集委員増員の提案>(工藤さん)
企画物は東京支部が中心になることが多いので、その対応として編集委員増員の提案がありました。
田中太一さん(H6/8)を推薦することになった。
 
4.東京支部行事
  (1)JMU新造船見学(杉本さんに検討していただくことになった)
  (2)昼版:懇話会(仮称、工藤さんから主としてシニア会員対象の会の開催提案あり。初回は
     日本財団関係のボートレース見学について、検討していただくことになった)
 
5.ホームページの状況
今期(7月~9月)編集担当:(主):山内裕さん(副)高野さん
「先生方から」への投稿は、眞田勇吾、上田幸雄先生に続いて柏木正先生にいただいている。
山内裕さんに寄稿をどなたかにしていただくよう依頼しました。また、内藤先生が海洋立国推進
表彰を受けられた件の掲載を依頼しました。
                                            以上
 
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内藤 林大阪大学名誉教授(昭和45年卒)は平成25年7月9日、文部科学省、農林水産省、経済産業省、国土交通省及び環境省が内閣官房総合海洋政策本部事務局の協力を得て実施している同表彰を、船舶の実海域推進性能の研究に関する功績で受賞されました。
詳細は下記をご参照ください。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kaiyou/hyousyou.html
 
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平成25年8月17日 ご逝去。

同級生の長谷川和彦理事よりご連絡頂きました。

本会は謹んで哀悼の意を表します。

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         < 庚子造船会 新卒業生歓迎会 >

 2011年3月4日  大阪大学吹田キャンパス「さわらび」

 橋口寛信 理事長の挨拶

 庚子造船会賞      辰巳 晃 さん
 庚子造船会理事長賞  金 善凡 (キム ソンボム) さん

 都藤幸雄 東京支部長の挨拶 

 太田紀一さんが乾杯の音頭
   
   
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保護中: 内規

2010年12月27日(月)

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