まず、自己紹介させていただきます。私は1975年に造船学科に入学、1979年に学部を卒業、1981年に大学院の前期課程、1984年に後期課程を修了しました。その後、1984年4月から造船学科の助手として採用していただきました。大学院での5年間と助手としての4年間は田中教授、鈴木助教授(当時)、松村講師(当時)とともに同世代の学生の方々と船の周りの流れの計測や計算をさせていただきました。大量の水槽実験をして現在では大きな問題になるであろう24時間走行なども行い、学生さんたちにたくさんの迷惑をかけました。写真1はこの当時の研究室の卒業アルバム用の写真(私が前期・後期課程の最後に論文を一緒にやっていただいた方々と、助手1年目の頃)で一番迷惑をかけた学生の皆様と先生方と一緒に写っています(なぜかいろいろな写真が私のところにありました)。
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2.水槽実験の日々―24時間走行と計測システム
当時は水槽、回流水槽、風洞、神戸工業高校の回流水槽を使わせてもらっていろいろな実験(主には流れ場を測っていましたが)をしていたので本当にかなり無理を皆さんにお願いしていました。一例として写真2は水槽実験をしているときに就職されたばかりの今出さん(昭和55,57前)が来てくれたので170走行目(1時間4走行、200走行を1週間で終わらないといけない)が終わったときに写真を撮ったものです。そのあとの171走行目の当時の実験では電圧出力を書かせて読み取っていた多チャンネルペンレコーダーのデータの写真3などもついでに入れています。古いペンレコーダーを2つ並べ、2本の5孔管の5つの孔の圧力とトラバースで場所を動かしているときに出る信号の6chずつ、それ以外にスラスト・トルクの自航試験機の差動トランスの出力などがあり計測机は写真4に見えるように、いっぱいになっていました。このペンレコーダーの値を目で読み取って表にして、夜などにミニコンのHITAC10Ⅱに穿孔機でテープに穴をあけて間違いを直した紙テープを読み取らせ解析をしていました。しかし間もなくTEACのPS-2というマイコンを用い、電車上で解析できるようにしました。そのうちAD変換ができて電車が帰ってくるまでに1走行で計測した4点×2(2本の5孔管)ぐらいの流速データが出てくるようになりました。そのあともいろいろ改良を加えプロッターでベクトルを書く程度までできていたのを覚えています。
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3.Series60共同研究とIowa大学での研究生活
基本的な幾何形状での計測のあと、プロペラと船体の相互干渉を調べる目的でIowa大学と共同研究が行われ(阪大 田中教授、鈴木助教授、Iowa大学 Patel教授 Stern助教授)、Series60を用いて、プロペラ有無両状態の流速分布や船尾部に400以上の圧力孔を開けたFRP模型を別に作りプロペラ有無両状態の船体表面圧力分布を計測するなどまた多くの実験で学生の皆様にご迷惑を掛けました。写真をいくつか示します。またこの時期には水槽の隣にできた研究用風洞、共同大実験棟の回流水槽、神戸工業高校造船科の回流水槽で実験をさせてもらいました。
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Series60の実験がきっかけで1988年4月からIowa大学の水槽で実験を行うことになり、研究員として滞在させていただきました。1年の予定でしたが、曳航水槽を使ってみると速度がどんどん早くなっていき、レールが水平でないなどの問題がありました。できるだけ急いで機械のShopの人たちとレール調整を行い、電気のShopの人たちとモーターの制御を修正したりしましたが間に合わず1年延長させていただいて高いFnと低いFnの時の流場と波高分布などを計測しました。この時には電気のShopの人とデータ取得のAD変換や作図プログラム等も作成しました。またExpert Witnessの実験で大きな断面のFlume(回流水槽のようなもの)での実験や自由表面の非定常現象を調べるのに小型のFlumeなどを使うとともにOpen throatの風洞も使わせてもらい空気の実験も行いました。なんとか実験を終え2年で帰国して2年間もう1度阪大で助手をさせていただいた後、神戸商船大学の助教授として異動しました。
4.神戸商船大学での研究
神戸商船大学でも浅水槽、回流水槽を使って、最初は定兼教授がされていた大型船の作る航走波中での小型船の揺れや港湾内操船に関係する浅い領域での横力計測などを一緒にやらせていただくとともに、アメリカズカップのキール、バルブ、セールの実験を行いました。また浅水槽で急流すべりの実験、パイロットラダー反転などの実験を行いました。この時期はヨット関係で様々な水槽での実験も見せてもらうことができました。6年半(最後の半年は乗船実習科で半年間の乗船実習をする学生の担任だったため)を神戸商船大学で過ごしそのあと大阪大学で大学院重点化の時にできた独立専攻の地球総合工学専攻(学部がない大学院のみの専攻。この時学部は地球総合工学科で船舶海洋、建築工学、社会基盤、環境の4学科目でそれぞれに大学院の専攻があった)に助教授として異動しました。
5.大阪大学での研究室再編と流体研究
地球総合工学(独立)専攻では、新たに海洋環境関連の研究を始めるということで、船舶海洋工学科から異動された鈴木教授と、大気と海洋相互作用をもっと詳しくやりたいということから鈴木教授が採用された竹見助手(京都大学の防災研で学位を取られてすぐ)と私の3人で、学部の学生は船舶海洋工学科目、大学院は独立専攻の学生を指導するという形で研究を始めました。私は今Iowa大学におられる眞田先生を中心とした学生たちと重力流の研究で小さな水槽をたくさん作り、潮汐水槽なども作りました。また海洋数値モデルの研究でいろいろな沿岸域を見せていただきながら計算できるように努力していました。ただ動くものを1つやりたいということでイカロボットの研究を始めて、その研究用に新しい回流水槽を作りました。また鈴木先生の研究で実船の摩擦を測る装置なども作ってこれらは海上技術安全研究所の400m水槽で装置を付けた実験をさせてもらいました。
そうこうしているうちに国立大学法人化で組織が見直されることになり、環境工学が環境エネルギー専攻にうつって、残りの船舶海洋工学部門、社会基盤工学部門、建築工学部門の3つの部門をもつ大学院地球総合工学専攻ができました。もとの独立専攻の研究室は船舶海洋工学部門に入り(ほかの研究室は他の2部門と環境エネルギー工学専攻へ)、研究室の名前も変わりました。私はある日、大学に行ったら自分の研究室の名前が変わり、教授に新しい先生が来られることが決まっている状態でした。このあと船舶海洋工学部門のもともとの船舶性能学講座(3講座)から変わっていた船型デザイン学領域に移らせていただき、松村先生と流体力学の研究をさせていただくことになりました。この領域では眞田助教(当時)やPing-Chen Wu助教(当時)、Tokgoz Emel特任助教(当時)に大変お世話になり、計算や実験を進めていきました。ステレオPIV装置の導入も行い、波浪中の船体-プロペラ-舵の相互干渉の詳細流場計測をはじめ多くの詳細流場をとるとともにCFD計算で推定することを行ってきました。この間、曳航水槽で多くの実験をさせていただきました。また回流水槽などでもプロペラ舵の干渉などの実験をしていました。またIowa大学の新しい装置の導入や角水槽(Wave Basin)の建設なども少し手伝わせていただきました。しかし大阪北部地震の後水槽が使えない時期があり、この時は後輩の島本さん(S56)が社長でおられた住友重機械マリンエンジニアリングの大型の回流水槽や三井造船昭島研究所(当時)の中水槽などでもPIV計測をさせていただき、何とか学生の研究を終えることができました。眞田先生のIowa異動のあとPing-Chen-Wu先生がいてくれたのですが、松村先生の退職時にWu先生も退職され研究室に教員が私1人になりました。しかし、最後の2年間は工学研究科内での専攻再編に伴い、海事機械システム工学と船型デザイン領域が1つになって船舶海洋流体工学領域となり、鈴木博善准教授(現教授)と千賀助教(現准教授)と一緒の研究室に入れていただきました。このように皆様の助けを借りて多くの水槽等で多くの実験を行うことができ、実船実験も数多く体験させていただきました。皆様にお礼申し上げます。
なぜか私がいろいろな写真を退職される先生方から託されることになり持っているのですが、私が退職するときには5つの部屋(教員室3、学生室2)から誰もいなくなることになり多くは捨てました。しかし一部スキャンしたものがあり、少し貼ってしまったため長くなってしまい申し訳ありません。ほかにも水槽関係で第2、第3水槽の建造の様子の写真や第1水槽の完成記念の写真集などもあります。このように2022年3月に最終的には大学院地球総合工学船舶海洋工学部門を卒業しました。この時、少し短縮して就職させていただこうとしていたのですが、うまくいかず最後まで学生の皆さんと過ごさせていただきました。2022年3月に卒業させていただくことになり、退職少し前に今治造船役員の藤田さん(S56)に面接していただき(本当は何年か前に面接していただく予定だったのですが)、これまで多くの水槽で実験していたことや装置を作るのを手伝ってきたことを考えていただき、何とか内定をいただくことができました。2022年4月から今治造船株式会社、船型開発センターに勤務させていただいています。
6.大学退職と今治造船への就職-初めての会社勤め
大阪大学退職までは学生の方たちと好きなように自分のペースで実験や数値計算を行っていました。そこで毎朝勤務開始までに出勤して打刻し、勤務終了時間以降に打刻して退勤する生活ができるか危惧していたのですが何とか4年勤めることができ、現在5年目に入っています。入社後に両親を亡くしたこと、海外の大学から、水槽改修後の会議での特別講演を依頼されたこと、大学へもう少しカリキュラム改定前の講義科目を講義のため行かないといけないことなどもあり有給休暇は毎年ほぼ使い切ってしまいました。しかし、何とか遅刻、欠勤は出さずに4年間過ごしました。最初は朝夕の打刻忘れなどたくさんあってそのたびにセンター長にご迷惑をかけていましたが、少しずつ慣れて打刻忘れなどは減ってきました。しかし4年たちましたので年齢のせいで忘れ物をしたりします。この年齢になってもこちらにお世話になることができたのは、これまで多くの水槽実験や装置・設備の製作をさせていただいてきたことによるものだと思っています。船型開発センターのことは詳しくは書けないのですがITTC等に公表されている範囲で少し説明させていただきます。今治造船株式会社 設計本部 船型開発センターは2018年から水槽が稼働しています。ITTCのカタログ
https://ittc.info/members/member-organisations/imabari-ship-model-basin/
にあるように曳航水槽(長さ212m、幅13m、水深6.5m)と操縦・耐航性能水槽(長さ65m、幅27.5m、水深3m)の2つがあります。2021年に国際試験水槽会議ITTCのメンバーになり、2024年から評議会(Advisory Council)のメンバーです。私が来た時には4年が終わったところで、通常の試験が行える状態になっていました。働いているのも若い方々が多く、大学のような気分で仕事を始めました。いろいろやりたいことは数多いのですが、皆さんがお忙しく、私自身あまりお手伝いできていないのが現状です。最初は企業に行かれた他の先生の話から、講義や勉強会などもさせていただけると思っていたのですが、それは全くなく、もう少し何かできるのではと毎日考えています。しかし初めての会社勤めでどうなるかと思いましたが何とか4年間有給休暇をぎりぎりまで使いながらも、健康を維持しています。毎朝、打刻してOfficeの机に座り、そのあとラジオ体操で始まり、夕方の打刻まで実験を見せていただいたり、デスクで小さなプログラムを書いたり計算手法やPIVの2次解析などのプログラムを書いて過ごしています。大学時代は順番に学生の後ろから見ていろいろ話をしながらやってもらうのが多かったのですが、こちらはある程度は自分でプログラムも書いて皆さんに結果を見ていただく形が多いように感じます。こちらのセンターで行われている研究の写真やビデオ等を出せるといいのですがそれは難しいので、以下、丸亀での生活を紹介したいと思います。船型開発センターには海上技術安全研究所におられた谷澤さん(S56)が先におられて、私の入社3年目に森さん(H26)が日本シップヤード丸亀オフィスから移動してこられて3名同じ部屋で仕事をしています。
7.丸亀での生活
大学の片付けも終わらないまま2022年3月末に、丸亀駅の1つ東の駅、宇多津にある寮に入れていただき、4月1日から勤務しています。これまでの人生の中で寮での単身生活は初めてでしたが、大きな1人部屋でゆっくり過ごさせてもらっています。食事もついている寮なのですが、朝夕は作ったり買ってきたりして食べています。単身赴任なので月に1-2度は神戸の自宅に帰っていますが、週末には近くのいろいろなところに出かけています。寮の窓からは様々な電車が通っているところが見えます。写真12は寮の窓から見えるアンパンマン列車で、一度孫がアンパンマントロッコに乗って四国に遊びに来ました。その時は、金毘羅さんの琴平温泉に泊まり、その後寮のすぐ近くの宇多津臨海公園にある四国水族館を見せました。宇多津の臨海公園まで、寮からはすぐの距離なのでよく散歩に行きます。写真13が臨海公園から会社のほうを見た写真で丸亀事業本部のクレーンが見えます。
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このほかにも近くに大名庭園の中津万象園もあり、季節ごとに楽しむことができ時々家族が来た時などに行っています。そのほか丸亀港からは塩飽水軍の塩飽諸島の島々へ行くフェリーがあるので時々乗っていって自転車で島を巡っています。写真17は本島の笠島町なみ保存地区の写真、写真18に内部を公開しているところにある船の模型を示します。
また高松など近くの町にも出かけ、港で船を見たりしています。写真19は高松から小豆島のフェリーでうどん県の香川県でポケモンはヤドンということでヤドンが描かれています。
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このように丸亀生活を楽しんでいます。そのなかで卒業生が丸亀へ来た時寄っていただいて話をする機会も数多くあります。多くの方は仕事で来られた時に少し話をしたり、夜食事に行ったりします。しかし仕事以外で来ていただいた例として写真1にいる岩崎さん(S56)と何十年かぶりにあったときの写真を写真20に、愛媛阪大会で会われた卒業生(S56西村さん、S57岡島さん、H10檜垣さん)が丸亀に最近来てくれたのでその写真を写真21に示します。写真1や写真2から年齢を重ねた今です。
国の方も日本での会議などの時に立ち寄ってくれました。現在Iowa大学にいる眞田先生(H13)は広島大学での実験の折に、Iowa大学Fred Stern教授とONR Woei-Min Lin博士は広島でWorkshopがあったときに来てくれました。ほかにも国内の国際会議ではいろいろな人たちが来るので声をかけてくれるので、会議には参加しないで有給休暇をとって彼らと会いに行ったりしています。また海外の大学で依頼された講演などにも休暇を取って出向き、いろいろな卒業生に会うことができています。一例としてFred Stern教授たちが来た時の写真とその日に神戸まで移動し私の家にいた時の写真を示します。
また学生さんたちも見学に来てくれるのでいろいろ話をさせていただいています。丸亀は大きな実船と模型船を同時に見ることができる場所だと言っています。実船より短くて細い水槽に浮かべられた1/50以下の模型で試験試作品を作らずに実船を推定しないといけないなどと話しています。
これまで示したように、多くの方に支援いただいて大阪大学を卒業後、また丸亀で楽しい生活を送らせていただいています。皆様方の支援に感謝します。
以上

