船舶工学との出会い、恩師との出会い(柏木 正)

2013年06月05日(水)
船舶海洋工学との出会い,恩師との出会い
柏木 正(S53学部,S55修士,S58博士)
 
私の出身,生い立ち

  自己紹介を兼ねて,私の生い立ちから話を始めたいと思います。私の出身は,愛媛県今治市波止浜で,来島海峡大橋の架かっている今治側(糸山,今治造船本社)からすぐ近くです。
厳密に言うと,来島海峡にある「来島」という小さな島の対岸にある波方町大浦という所です。近くには中小の造船所が幾つもあり,小さい時はその近くの海や山を駆けずり回って遊んでいました。小学校は波止浜小学校で,毎日,来島どっく波止浜工場の横を通り,歩いて小学校まで通っていました。波止浜小学校での恒例の「写生大会」は,殆どいつも波止浜港近辺で行われ,湾内に浮かぶ今治造船,来島どっくの船や小さな漁船・渡船などを描いていましたが,私は結構,絵も得意でしたので幾つかの賞をもらっていました。
 私の亡き父は,終戦後,船乗り(機関長)から「一杯船主」と言われる海運業を始め,私が小学生だった高度成長期には数隻の船を所有・運航する海運会社の社長となっていました。ですから,小さい頃から,船の話は日常的に聞いていたし,船に乗る機会もあったし,進水式やドック入りした我家の船のさび叩きに行ったことも覚えています。私には兄が二人居ます。父は自分の夢を託したかったのだろうと思いますが,長男を大きな船の船長にしたかったらしく,結果的には,長兄は,私が中学生になる頃には既に甲種船長の資格を取り,日本郵船外国航路の航海士として世界の港を駆け巡っていました。(大分前に父の跡を継ぎ,現在は海運会社の社長をやっています。)乗船者名簿が定期的に送られて来ていましたので,日本郵船の船名の幾つかは今でもよく覚えています。例えば,長兄が乗船した船ですが,三菱重工神戸造船所で建造した最新鋭コンテナ船の鎌倉丸とか,自動車専用運搬船の神悠丸などです。神戸造船所のミニ博物館にある400隻建造記念プレートにそれらの船名を見つけると,大変懐かしい思いがします。
 
造船学科との出会い

  そのような長兄の影響があって,中学生の頃は,私も将来は外国航路の船長になりたいと思っていました。中学校の先生は,そのためには商船大学へ行くべきで,さらにそのためにはレベルの高い普通科高校へ行った方が良いとのことで,今治西高へ入学したのです。
  当時,商船大学航海学科を受験するためには,裸眼で確か0.6以上の視力が無ければいけなかったのですが,高校に入ってから,その条件を満たすことが怪しくなり始め,将来の職業を再考せざるを得なくなっていました。高校2年の秋頃だったと思いますが,旺文社の蛍雪時代という受験情報雑誌を見ている時に,「船舶工学科」や「造船学科」という学科が大学の工学部にあることを知り,その時に「これにしよう!」と閃きました。小さい時から船に囲まれた環境で育っていたので当然な出会いだったのかもしれません。それから志望校を大阪大学造船学科として努力しました。担任の先生からは分野(学科)を変え,もう少し上を目指したらどうかと言われることも有りましたが,変更すること無く,「あいつなら確実に合格するだろう」という周りからのプレッシャーと闘いながらも無事に合格することができました。
 
野本謙作先生との出会い

 造船学科へ入学する時には,絵を描くことも少しは得意だったし,船の設計のことを勉強しておけば,最悪でも父親のコネで,波止浜のどこかの造船会社へ就職できるだろうと考えていました。ところが入学してみると,期待していたような船舶設計の講義ではなく,難しい○○力学や数学が殆どで,その単位を取る目的で(今の学生より遥かに真面目に)勉強しているうちに,入学当初の夢はどこかに吹っ飛んでしまったようでした。
 そして4年生になる時,研究室配属の時期を迎えました。その当時,今と似ていますが,波浪エネルギー利用の研究が注目されていたので,学生の一番人気は中村彰一先生の研究室でした。希望者が多いためにじゃんけんで決めることは明らかでしたが,じゃんけんで負けて他の研究室へ移るのは嫌なので,最初から他の研究室にしようと考えていました。
その時,野本謙作先生が,卒論のテーマとして「操縦流体力に関する理論的研究」のようなことを説明されていたので,それにしようと決めました。野本先生は個人的に好きな先生でしたし,しかも愛媛県出身でしたので,就職の時などに同郷の誼で面倒を見て頂けるのではないかと期待する気もあったと思います。
 ところが配属されて野本先生に相談すると,理論的研究は難しいので,その年から浜本剛実先生のテーマとして始まる「追波中での操縦流体力の実験的研究」に関わったらどうかと言われ,私が少し渋っていると,理論的研究は自分でやるテーマとして,卒論を2つやるつもりで頑張りなさいと言われました。「そういう考え方もあるな」と変に納得して,追波中での操縦流体力の研究が始まったのです。
 
造波理論との出会い

 当時,大学院の講義で「造波理論」を日立造船技術研究所の高木又男先生が教えておられました。4年生であった私は,研究室のM1の先輩が面白そうな資料を講義から持ち帰って来るけど,そのまま一週間本棚に置きっぱなしにしているのを見つけ,それならその資料を一週間借りて勉強しようと思い,先輩には内緒で毎週資料を借り出し,自分で勉強して,そっと返却していました。ですから,大学院へ入る前に「造波理論」の内容はほぼ理解できていたと思います。
 その後も,中村研究室で使っている波に関する理論は殆ど理解した上で自分の研究に結び付けようという野心もあったので,非常に多くの論文をコピーして読んだと思います。
その過程で溜まっていた式変形ノートやメモを整理しておこうと思い立ち,大学院博士課程の時に書いたものが,俗にいう「造波理論柏木ノート」です。難解であった波浪中抵抗増加に関する丸尾理論の式変形の詳細を書いた時には,そのコピーを中村彰一先生にも受け取って頂きました。先生から,「多分,学生で丸尾理論を完全に理解したのは君が初めてだ」と言われ,おもわず「これで中村先生の学生と言っても良いですかね」と冗談っぽく尋ねましたら,少し笑いながら「いいよ」と言って下さったことは,今でも大変嬉しく覚えています。
 
初めての学会論文

 多くの大学院生は,修士課程の時から指導教員との共著で査読有りの学会論文を書いていると思いますが,私はその点,非常に晩生でした。
そもそも博士課程へ進学した時,自分自身で研究テーマを考えようと思い,恐れ多くも野本先生に「半年間は自由に勉強させて下さい」とお願いし,種々の文献を読みながらいろいろと考えていました。夏休み明けに勉強成果を基に「提案書」を持って行ったのですが,「内容が良く理解できる友人に聞いて来るから一週間待ちなさい」と言われ,その結果は,「少し理論が古いが学生がやるテーマとしては良いのでは」というコメントだったということでゴーサインが得られました。(後に聞いたことですが,その友人とは,かの有名な別所正利先生だったのです。)
  その後,野本先生から学会論文を書くように指示が来ないかなあと期待しながら研究をやっていたのですが,やっとチャンスが巡って来たのは,私が就職する直前のD3の終わり頃でした。関西造船協会誌への投稿論文原稿を書き,野本先生のところへ共著者になってもらう許可を頂きに行ったのですが,「この研究は殆ど君一人でやったから単著で出しなさい」と言われ,結局この処女作を始め,私の論文リストには野本先生との共著論文が一つも有りません。(研究のスタートが半年遅れたこともあって,学位の取得も結局,就職してから一年後となりました。)このように,特に若い頃の私の論文の多くは単著が多く,研究者としての出だしは遅かったのですが,その後共著者にも恵まれ,現在の論文リストには250編ほどが有ります。
 
神戸商船大学への就職

 野本先生から博士課程への進学を勧められた時,もう少し勉強しても良いかなと思って進学の意思を伝えましたが,同時に「就職先はどこでも良いので先生に全てお任せしますが,3年後の就職は是非ともお願いします」と確約を取っておきました。ところがD3の12月になっても何のお話も有りません。やっと年末に部屋に呼ばれ,「今日,神戸商船大学の松木先生が来られているから今から会いなさい」ということで,急遽短い面接が行われ,4月から助手としての採用が決まりました。
   実は,今は亡き母から,就職するまで結婚は絶対にダメだと強く言われていたので就職先が決まることをずっと待っていましたが,やっと就職先が決まったので,早速,結婚式の準備を始めました。結婚式の仲人も勿論野本先生にお願いしました。月日の経つのは早いもので,今年の5月3日に無事,結婚30周年を迎えました。
 
九大応力研,大楠 丹先生との出会い

 神戸商船大学で助手をしている時,野本先生は既に阪大を退かれ,スウェーデン・マルメにある世界海事大学の教授になっておられました。その頃,日本学術振興会による海外特別研究員の募集を知り,全分野で10人ほどしか採用されない狭き門でしたが,野本先生から手書きの推薦書を送って頂き,応募しました。最終面接まで残ったのですが,残念ながら滞在予定先(マサチューセッツ工科大学)との滞在期間に関する文書のやり取りが不十分ということで採用されませんでした。
 しかし,当時,家内も最初の子供を身ごもっていたので,気を取り直して頑張っていました。神戸商船大学での2年目が終わろうとしていた正月明けに,九大応力研の小寺山先生から突然の電話があり,九大応力研に来る気はないかとの打診でした。お誘いのあったポジションは,小寺山先生のところではなく,大楠 丹先生の研究室で,しかもUrsell-田才法で有名な田才福造先生がご逝去された後の伝統あるポジションでしたので,とても信じられない嘘のようなお話でした。家内は出産を控えていたので,4月の移動は無理ですから他に良い人が居ればその人を優先させて下さいとお断りしたのですが,9月からでも良いと熱心に誘って頂きました。勝手に商船大学を辞めたら野本先生に申し訳ないと思い,(時差のため)真夜中にマルメまで国際電話を掛けて事情を説明し始めたら,「すべて聞いて了解している。是非九大へ行って頑張りなさい」との励ましの返事でした。
  大楠先生は,私が当時住んでいた大阪・江坂へ2度も来て頂き,一緒にお酒を飲みながら,いろいろなお話をして頂きました。(そのうち1回は,歩いて帰ったことも覚えていない程,私は嬉しくて酔っていました。)本当に有難かったです。しかも,当時,論文数も少ない30歳の私を助教授として大抜擢して下さいました。ここまで実績や実力以上に高く評価して頂ければ,期待に添うように頑張ろうと思うのは当然です。というわけで,大楠先生に九大応力研へ誘って頂いたお蔭で,私の人生は大きく変わり,大変充実したものになったと思っています。また,もし日本学術振興会の海外特別研究員として採用されて2年間海外へ行っていたら,九大応力研へのお話も無かっただろうと回顧しますと,大楠先生との出会いは,私にとって重要な人生の転機でした。九大応力研時代の22年間における研究生活は,随分私を成長させてくれたと,心から本当に感謝しております。
 
阪大船舶海洋での学生教育

 まだまだ書きたいことは沢山あるのですが,既に予定ページ数を越えているかもしれませんね。そこで,九大応力研時代の話は全てすっ飛ばして,阪大へ帰ってきた2008年4月からにします。
 阪大へ来た理由の一つは,阪大レベルの学生を相手に学生教育をやってみたいとずっと思っていたこと,それによって残りの人生を人材育成に使ってみたいと考えたからです。
阪大生を相手に講義をすることができることは,教員として大変幸せなことです。しかも阪大船舶海洋は,大学院に英語特別コースがあって,留学生だけでなく日本人学生に対しても講義を英語で行っていると聞き,これからの(あるいは既に始まっている)国際化時代を考えた時,学生教育における国際化の先陣を切っていると大変に共感しました。世界的に見ると,英語で講義を行うことはトップレベルの大学院では当たり前となっている時代です。教員に苦手意識があるからと言って躊躇していてはいけません。これからの世代を担っていく学生の教育を第一に考え,教員全員が,教育・研究の更なるレベルアップを目指して常に研鑽しなければいけないと思っています。
 阪大生は意外と勉強しないなあとも感じていますが,彼(彼女)らはやる気になれば絶対にできるはずです。そのことを信じ,また彼らにもそのことを伝え,やる気に火を付けられるようにと思いながら講義をやっています。客観的に見て,少し難しいかなと思うハイレベルなことでも,周到に用意した演習やレポートを交えながら,教える側が熱い気持ちを持ってやれば,必ず学生は(全員ではありませんが)その熱い気持ちに応えてくれるようです。最近は多忙のために講義の準備に割く時間が少なくなっていますが,阪大生を教えることは大変に幸せなことなんだという「初心」を忘れず,熱意をもってやり続けることが大切だと自分に言い聞かせています。
 2010年度から,卒業する学生を対象に,総合的に最も良かったと思う講義に投票してもらうアンケートを実施し,そのトップの評価を受けた先生に「地球総合工学教育賞」を授与していますが,大変光栄なことに,講義部門では連続してその教育賞を頂いています。
 
おわりに

 大阪大学船舶海洋工学コースが,よりレベルの高い教育・研究機関となって,次世代を担う有能な人材をここから一人でも多く輩出したいと願っています。それを実現するためには,学生に良い刺激を与え続けること,教員自身も常に向上心を持って努力を怠らないこと,熱意を持って教育を行うことが大事だと思います。
 現在,日本学術振興会の「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」に阪大船舶海洋が中心となって応募した事業計画「海洋工学における強非線形流体・構造連成に関する国際共同研究と若手研究者の育成」が,厳しい書類審査・ヒアリングの結果,2012年度から3年間のプログラムとして採択され,既に実行されています。具体的には,橋本博公先生,飯島一博先生が,現在フランスECN (Ecole Centrale de Nantes) に滞在して国際共同研究を行っています。また今年の秋からは,千賀英敬先生がノルウェー理工科大学 (NTNU) へ長期滞在の予定です。彼らが,阪大だけでなく,日本の船舶海洋工学分野におけるリーダーとなって活躍してくれることを心から願っています。なお,この阪大船舶海洋における頭脳循環プログラムの内容を紹介するホームページも立ち上げておりますので,以下のリンク先をご覧頂ければ幸いです。
http://www.naoe.eng.osaka-u.ac.jp/kashi/JSPS-Brain/
                                                                                                                       (完)
post by HP編集担当04