フランス・ECNでの在外研究について 橋本 博公 (学H12/修H14/博H17)

2013年12月25日(水)
柏木正教授が「船舶工学との出会い、恩師との出会い」の最後で少し述べておられましたが、日本学術振興会「頭脳循環を加速する若手研究者戦略的海外派遣プログラム」の一環として、2013年3月13日よりフランス・ナントにあるECN (Ecole Centrale de Nantes: ナント中央理工科高等大学) に1年間の在外研究に来ています。ECN側の受け入れ責任者はLHEEA (Laboratoire de Recehrche en Hydrodynamique, Energetique et Environnment Atmospherique: 流体・エネルギー・大気環境研究所) 所長のPierre Ferrant教授です。実質的なパートナーはSPH (Smoothed Particle Hydrodynamics) 研究で世界最先端を行くDavid Le Touzé教授であり、粒子法に関する共同研究を行っています。具体的な研究テーマは、MPS (Moving Particle Simulation) とSPHの比較検証、MPSへのSPHの先進的スキーム導入、MPSとFEMを組み合わせた強非線形流体・構造連成解析手法の構築、大規模粒子法計算の検証用実験の実施です。Davidは研究プロジェクトを多数抱えているため多忙であり、彼とは一定の成果が出た時点で不定期にミーティングを行っています。Davidの研究グループ DyRaC (Fast dynamics flows and multiphysics coupling) にはポスドク研究員や博士課程の学生が数多く在籍しているので、実務的な問題の解決にあたっては彼らと協力しています。また、DyRaCはイタリア・INSEAN (Italian Ship Model Basin) のSPH研究グループと密接な協力関係にあり、現在もポスドク研究員が1年間在籍しています。
 

ECNの正門
キャンパスは広くありません             
DyRaCグループの主要研究者 
Dr. Marrone, Prof. Touzé, Dr. Oger
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ナントで開催されたOMAE2013
Prof. Ferrant, 柏木教授, Prof. Touzé, Dr. Guillerm
一番お世話になったDr. Grenier
Université Paris-Sudへ転出

 
日本の場合、博士号取得後の就職をどうするかという問題が付きまといますが、DyRaCグループの場合、産業界への就職はもちろんですが、ECN発のベンチャー企業であるHydrOceanに就職することも多いようです。HydrOceanはソフトウェア開発と海洋工学コンサルタントを行う会社であり、博士号を取得した研究者を30名以上抱える一大勢力となっています。ECNと密接な協力関係にあり、LHEEAと同じ建物内に格安料金で事務所を構えていることがよい証拠でしょう。ECNが最新アルゴリズムの研究開発、HydrOceanがソフトウェアへの組み込みや拡充を行っており、このように大学が行うべき研究とソフトウェア化を分業していることが、粒子法研究でECNが世界最先端を行く大きな要因と思います。なお、フランスの工学系で博士課程に進学するには、指導教員が専用の外部プロジェクトを抱えていることが必要条件だそうです。このあたりは、さすが専門分野のエリート育成機関であるグランゼコールといった感じで、学位取得後は即戦力として活躍できるスペシャリストとして扱われます。ちなみに、エリートはフランス語源ですが、フランスでの大学はアカデミックスクールを意味し、グランゼコールこそが実学教育を行う真のエリート養成機関と位置付けられています。理工系の名門グランゼコールとされるEcole Centralには難関な選抜試験を勝ち抜いた優秀な学生のみが入学するため、高いレベルの教育を行うことができるそうです。
 
ECNは教育機関でありながら、研究所さながらの試験水槽を備えています。曳航水槽は145×5×3mと長さが阪大水槽の約1.5倍となっており、片側に最大波高60cmの造波機を備えています。回流水槽は10×2m、最大流量が4m3/sです。最も目を見張るのが、建設されてまだ10年にも満たない波浪水槽です。48分割式造波機を備えた50×30×5mの水槽は、多方向波はもちろん、最大波高1.0mの造波が可能となっています。これだけでも立派な試験水槽なのですが、この波浪水槽は巨大な送風機を備えており、陸上に設置した4個の送風機モジュールから長いダクトホースを介して所定の位置に送風することができます。その設計についてはある社会人ドクターの学位論文として実施され、CFDを駆使した膨大な検討の成果により、高精度の一様風速が実現されるに至っています。技官や実験研究スタッフも複数在籍しており、DyRaCのような最先端の数値計算だけでなく、大規模な実験にも注力しているECNを見ていると、建設後40年を経て水槽の老朽化が進み、技術職員の補充が困難な阪大の現状は少し寂しく思います。最近では沖合20kmに海洋エネルギーの実証フィールドSEM-REVを立ち上げており、今後ECNはますますその地位を高めていくことになりそうです。LHEEAには、DyRaCの他にもいくつか研究グループがありますが、現在、最も人数が多いのは海洋エネルギーのグループです。当然ながら、ポスドク研究員や博士課程の学生が多数在籍していますが、それでも人手が足りないようです。ある研究者はプロジェクトが多すぎると愚痴をこぼしていましたが、原発先進国であるにも関わらず、海洋エネルギー開発でも世界の先端を行くECNに人手と資金が集まるのは自然なことのように思います。
 

回流水槽 曳航水槽 
  
 

波浪水槽   SEM-REV
      http://www.semrev.fr/
  
 
単位人口あたりの教員数が日本よりも少ないフランスでは、常勤の大学教員ポストの競争が激しく、20~30倍程度の競争率が当たり前のようです。また、博士号を取得してすぐに教員ポストに就くことは稀であり、厳しい競争を勝ち抜くため、ポスドク研究員は雇用されたプロジェクトで成果を出そうと必死に努力するので、雇用側にとっても大きなメリットがあります。また、正式に常勤教員として採用されてもHDR (Habilitation à Diriger les Recherches: 博士課程学生指導資格) を取得しなければ、博士論文の主査にはなれない仕組みとなっています。これはつまり、HDRを取得していない教員は教授に昇進できないことを意味しています。HDRの取得のためには、研究業績、教育実績、国際活動、研究予算、プロジェクト運営能力などの項目について、厳しい要求をクリアせねばなりません。そのため、審査にあたっては、膨大な資料の準備に加えて、博士論文の公聴会と同様に多数の審査委員の前で自身の研究(統括)能力が基準をクリアしていることを示す必要があるそうです。常勤ポストを得た後にもこのような厳しい審査が待ち構えており、常に競争原理(エリート育成)が働く仕組みとなっています。
 
ECNでの教育ですが、フランスは1コマあたり2時間の講義となっていて、朝一番の講義は8時開始です。教員側は一日の時間が有効に使えてよいでしょうが、学生の立場からすると早過ぎると感じるかもしれません。ナントの秋冬は日の出が遅いので、本当に真っ暗の中で登校して講義を受けることになります。講義科目にはMATLABやプログラミングの習得、長期インターンシップなどが含まれており、産業界との結び付きが色濃い内容となっています。いわゆる本格的な専門科目(流体力学など)は長期インターンシップ終了後に開始となります。現実的な課題をしっかりと認識した後に、その問題解決手段として専門科目を学習する流れとなっているようです。ECNはErasmus Mundus(欧州での留学奨励制度)のEMShip(高度船舶設計に関する修士課程コース)に参加しており、この受講生に対しては英語で講義が提供されています。アジア人も数名在籍しているのですが、そこに日本人の姿はありません。日本国内では、総じて大学生が特別な困難なく就職先を見つけられる状況にありますので、海外に対する強い意識を抱いている一部の学生以外は、わざわざ海外の修士取得プログラムに参加しないことも当然なのでしょう。近い将来、大学の教育課程を修めただけでは就職ができないような状況になれば必然的に変わるのでしょうが、少なくとも阪大生には海外経験の重要性を認識し、自らの意思で海外に赴いてチャレンジするぐらいの意欲が欲しいところです。
 
ECNでは昼食時間が特徴的です。ECNのキャンパスから歩いて5分ほどの距離にあるナント大学の職員用食堂にランチを食べに行くのですが、職員同士が誘い合って大人数で一緒に昼食をとります。昼食をしっかり食べることはフランス文化のようですが、前菜、メインディッシュ、デザートがセットとなっており、かなりボリュームがあります。昼食を食べながら、職員同士でコミュニケーションを図り、他愛もない雑談から講義や研究、時には政治問題について議論しています。しっかりと時間を掛けてランチを堪能したのち、場所をカフェに移して皆でエスプレッソを飲みます。このように、ECNでは職員同士の距離感が非常に近く、常にお互いの情報が共有されているように感じます。ちなみに、暑くても寒くても太陽が出ている時は外のテラスでカフェするのが王道です。日本ではこのような機会はほぼ皆無であり、組織としての共通認識の形成の難しさに繋がっているように思います。同僚と昼食を共にする反面、一旦仕事を離れると家族、親友との時間になります。家事は夫婦で同等に分担するのが原則のようですが、北欧に比べると縛りが緩いと聞きます。また、子供を持つ夫婦にとってベビーシッターの雇用はごく一般的であり、2人目の子供から税金の控除などでインセンティブがあるようです。3人目からは大幅にインセンティブが上がるようで、出生率が欧州で2番目に高いことも納得です。このような経済的な支援だけでなく、街中を走るトラムやバスではバリアフリーが徹底されていますし、小さな子供連れに対しては誰もが席を譲ってくれます。階段で困っていれば自然とベビーカーを担いでくれますし、子供が道端で転んだりすると親よりも先に駆けつけて抱き上げてくれます。こうした子供に対する根本的な接し方の違いこそが、日本とフランスの出生率の大きな差となっているのではないでしょうか。
 
長い夏休みは欧州の特徴ですが、フランスの場合、一般的な企業人であれば5週間程度の夏休みをとるそうです。彼らになぜ働くのかと尋ねれば、自分の人生を楽しむためのお金を稼ぐためと明快に答えてくれます。阪大ではお盆休みに3日間のお休みをくれますが、長期で休みをとることは憚られます。ECNでは8月に3週間近く大学が閉鎖されて入構できなかったので、否が応にも(この感覚こそが日本人なのですが・・)長期の休みをとることができました。このような夏季休暇だけでなく、通常の祝日でも大学は閉鎖されていて中に入ることはできません。休みの日はしっかりと遊び、人生を謳歌して、明日への活力を得るといったところでしょうか。日本人の私はこの切り替えに慣れていないせいか、3週間の夏休み明けにはなかなか仕事に集中できませんでした。
 
ナントはフランスで6、7番目に大きな都市ですが、私が小さい頃の日本に近い懐かしい印象があります。それは建物や車が少々古めかしいという意味も含みますが、人々があくせくすることなく、季節の移り変わりを感じながら、家族や親友、そして自分の時間を大切にしていることです。日本はあらゆる面でサービスが行き届き、生活するには非常に便利で不満はないのですが、こうしたある意味で過剰なサービスと多種多様な娯楽の存在が、必要以上に時間を浪費させ、人と人との繋がりを希薄にしている、そんな風にも感じます。今回の滞在では、妻と2人の娘が一緒なので、家族との貴重な時間を過ごすことができています。特別なアトラクションや大型百貨店に行かなくても、一緒に食事を楽しみ、好きなだけ語り合い、飽きるまで子供達と遊ぶ、そんなごく普通の生活を楽しんでいます。フランスのワイン、チーズ、バゲット、チョコレートが美味しいことも、ゆっくりと家で過ごしたくなる理由なのかもしれませんが・・。
 

ナントの街並み   Les Machines de l’îleの象
  
 
 
ナントに長く居すぎたせいか、後半は少々フランス贔屓な内容になってしまいましたが、日本ほど住みやすい国はないという考えは変わりません。日本でフランス流の考えを取り入れたうえで生活したら、きっと素晴らしいだろうと今から楽しみにしています。
 
最後に、このような貴重な機会を与えてくださった柏木教授を始めとする頭脳循環プログラムの関係各位、長期滞在を快く許可していただいた船舶海洋工学部門の先生方、事務の皆様に深く感謝いたします。
post by 事務局 東京02