第3の仕事 (S38 鈴木敏夫)

2014年05月20日(火)
大阪大学を国立大学最後の退職者として退官した後、新しく始めた仕事が二つありました。一つは私立大学教養部の非常勤講師(第2の仕事)で、もう一つが家庭裁判所での家事調停委員(第3の仕事)でした。
第2の仕事のついては庚子造船会ニュース31号(2006年12月)に書きました。最大のカルチャーショックは100人単位の講義とそこで行われる学生による授業評価でした。

今日は第3の仕事について書きます。

皆さん、家庭裁判所にある家事調停制度をご存知ですか。簡易裁判所にある民事調停が他人同士の簡単なもめ事を調停し合意を得るのと似ていますが、親族間の紛争を第三者である家事調停委員が間に入って中立的立場で話し合いを進めて合意を得る制度です。共に合意が得られなければ不成立、審判に移行するものもありますが、親族間の紛争はいきなり法律に基づき白黒をつけるのではなく、まず話し合いをすることが義務付けられています。その手助けをするのが家事調停委員です。
家族間の問題と言うのは種々ありますが、その中で私が担当した主な仕事内容は、遺産分割問題と離婚問題です。

遺産分割では、生前に長男は家を建ててもらっているとか、二男は大学に行かせてもらったとか、長女は親の面倒を見たとか、いろいろ言い分が出てきますが、結局はお金の問題であり、話し合いがまとまらなければ裁判で決着をつけることになります。

調停におけるもう一つの大きな仕事が夫婦関係調整、すなわち離婚問題です。
離婚などは市役所に離婚届を出せば済むと思っていたのですが、実際にはいろいろ解決しなければならない問題があります。

まず、離婚は双方が合意しないと非常に難しく、結婚よりもはるかにエネルギーのいるものだということです。離婚するためには決めなければいけない事柄がいくつかあります。その主なものは、

1. 未成年の子供がいる場合は、子供の親権者、養育費の分担金、面会交流。

2. 子供の有無にかかわらず、婚姻生活中にできた共有財産の分与。これには預貯金のほかに、住宅ローンの残金や
  カードローンなどの借金も含まれます。

3. 一方的な申し出や浮気などが原因の場合は慰謝料の額。

以前の協議離婚届には子供の今後についてどうするかの記述欄に親権以外は無かったのですが、平成24年4月1日から、離婚後の子供の健やかな成長を考え、子供との面会交流と養育費について相談し明記する欄が出来ました。
離婚先進国(?)である米国では離婚後も父と母が共に親権者であり、子供との面会交流は必ず行わなければならない義務であり、権利でもあるとのことです。どちらかが再婚していても面会に行くことを子供に勧めているようです。

ここでは、子供、特に15歳未満の子供がいる場合の離婚にまつわる問題についてお話をしたいと思います。

まず、子供の親権者の問題です。一昔前、幼児の親権者は母親とほぼ決まっており、父親も時々会えればそれでよいとか、もう会いたくないとか言っておりました。ところが最近、少子化の傾向にともなって子供の奪い合いが目立ちます。父親が幼児の親権者になる例を挙げて見ましょう。家を継がせるために小さな男の子の親権を父親が要求する場合です。母親が親権者になって保育所に預けて働く位なら、父親の父母が元気なので子供は父親の実家で育てる方がよいと言う場合です。

現在の民法では家を継ぐという考えはありませんので、法的根拠はないのですが、地域によってはこのような風習が根強く残っていることがあります。もともと父親が、実家ではこうだ、こうする、こう言っている、など目線が自分の実家に向き、夫婦で新しい家庭を作るという意識が薄い場合、それに母親が反発して離婚に発展してくるので、母親としては親権を父親に渡すと、「私は追い出された」と言う意識が強く出てしまい反発が強まることになります。こうなると双方の主張を聞き、調停するのは並大抵のことではありません。

調停委員としては、親権とは名義上のものであり、「離婚後も二人は子の親であり、二人して育てないといけない」と言うのですが、当事者は「あの人に子供をまかせられないので離婚するのだから親権はゆずれない」と言う方向に話が動いて行ってしまいます。家庭内暴力や虐待がある場合は別としても、現実にはどの家庭内でも意見の違いがあり、それを見ながら子供が育って行くものです。子供が社会に出たときに、意見はいろいろあるがその中で意見をまとめて物事は動いていくのだと分っていくものだと思います。

子供の親権問題と同時進行するものが、非同居親と子供の面会交流、養育費問題です。
多くの事例で幼児の親権者は母親になります。その後、父親と子供が会い、遊びを通じて育児に参加するのが面会交流です。母親が子供を連れて実家近くに引っ越すことが多く、父親は月1回とか、3ヶ月に1回位しか面会交流が出来ない場合が多いのですが、母親としては嫌いになった男性に子供を会わせることに嫌悪感があったり、子供が父親になつき父親と一緒に住みたいとか言い出し親権を父親にとられるのではないかと心配したりして会わせないことが多発しています。

暴力・虐待のある場合は別としても、子供のことを考えた場合、実の親との交流は子供にとって非常に大切な精神的支えになると思っていますので、双方が会わせる努力をしてほしいと考えています。
子供を保育所に預け、午前のパートを休んで(賃金カット)来る母親と、仕事があるからと代理人の弁護士にすべてをまかせ本人は出てこないで権利を主張し、財政的に豊かなところで育てるのが子供のためだという父親とどちらが子供のためになるのかを悩み、考えたりして、人生の裏側を覗いたように思います。大学と言う職場では得られない体験でした。

最後に現況をお伝えします。

俗に大学の先生は世間を知らないという言葉が耳に痛かった8年間の調停委員生活でしたが、報道などに出てくる街の声を理解できるように耳も多少広くなりました。今はその苦行(勉強?)からも解放され、月5回の俳句会に追いかけられながら月に50句の駄作を量産し、週1回の合唱を楽しんでいます。

俳句会のうち旧制浪速高等学校と阪大の卒業生で作っている待兼山俳句会にはホームページがあります。大阪大学、俳句会で検索して、一度覗いてもらえると嬉しいです。庚子造船会の趣味の欄にも時々投稿していますが、定期的に投稿することが出来なくて途切れています。学士會会報にはもう一つの句会、関西草樹会の欄があり、そこにも投稿しています。ご覧ください。

なお、今年の2月から俳号を兵十郎(ひょうじゅうろう)にしました。これは父の実家が福島県いわき市で酒造りをしていた時、当主が代々引き継いできた名前です。原発事故へのささやかな支援との思いを込めて改名しました。

鈴木先生 ご近影
          <筆者 近影>

曳船の水尾きらめかせ春の海  兵十郎
 
上の写真はこの3月に退職された水槽の清水保弘技術専門員の歓送会での写真です。

俳句は、やはり3月末で閉園の決まった大阪港野鳥公園に吟行した時の句で、
後日、ホトトギスの稲畑汀子主宰から特選をいただいた句です。
post by 庚子造船会編集者5