海洋との出会い(加藤 直三)

2016年02月24日(水)
「海洋との出会い」
                                    加藤 直三
 
  • はじめに
私が大阪大学に教授として赴任したのは、2003年4月であり、今年(2016年)3月に定年退職となる。13年間、大阪大学に在職したことになる。それまでは、1980年4月から、東海大学海洋学部に職を持っていた。私の最終講義では「海に学び、海と人を守る」という題目で、お話しする予定であるが、この「会員広場」/「先生方から」の寄稿文のコーナーに何を書こうか、迷ったが、私の最終講義で少しだけ触れる予定である、大阪大学での教育・研究に大きな影響を与えた東海大学海洋学部での「海洋との出会い」について、少々詳しくお話ししたい。
  • 海洋教育
 1980年4月に東海大学海洋学部船舶工学科に助手として職を得た時、同期に、水産学科の先生(深海サメの専門)、海洋工学科の先生(海洋物理学の専門)がおられ、専門を超え、キャンパスの後ろにある海岸(久能海岸から三保海岸の間)の砂浜の上での先生同士のバーベキュー会で親しくなった。その後、家族同士の付き合いになっていった。このバーベキュー会で、色々な専門を持った先生方と知り合いになった。当時、海洋学部には、生物系の水産学科、科学系の海洋科学科、資源系の海洋資源学科、工学系の海洋工学科、海洋土木学科、船舶工学科、航海系の航海学科があり、バイオテレメートリ、リモートセンシング、海洋ゴミの漂流予測、黒潮の鉛直プロファイルの長期計測など、特色のある研究を行っている先生が多くおられた。また東海大学には、大型の大学丸と望星丸や、小型の北斗、南十字があり、海洋実習や研究で用いられていた。特に、海洋学部の学生に対しては、大型船を用い、1年次、2年次は、駿河湾内の1泊2日の海洋実習(海水観察、気象・海象の観測、採泥器による海底地層の観察、測流計測、プランクトン採集と観察など)、3年次には、1週間程度の外洋での海洋実習(船舶工学科の場合、瀬戸内海を中心とした造船会社の見学、船速試験、操縦性試験、復原性試験など)が必修となっていた。この実習が海洋教育にはたいへん効果的と思える。また教員にとっては、学生と夜を通して語れる良い機会となっていた。また1年次の海洋学部の学生に対して、共通科目として、海洋学概論という授業を、生物系、科学系(物理と化学)、資源系(地質)の先生が講師となり、海洋学の概論を教えていた。大阪大学では、私が、この海洋学概論の講義を2年次の学生に対して12年ほど行ってきたが、海洋学部での海洋教育の経験、多くの分野の先生方との交流、私自身の海洋実験の経験と知見を生かしている。私はもともと工学部出身であるが、海洋開発にあたっては、工学部の立場から見ると、どうしてもものづくりの開発技術が中心であるが、海洋学の立場から見れば、海洋学の基礎知識の上に、海洋計測技術、海洋環境監視技術、海洋開発技術が存在することになる。この見方が、環境との調和ある海洋開発を目指すには不可欠と思っている。ところで、海洋学概論の授業で、プレートテクトニクス理論の説明を行う時、毎回、思い出すのは、私が東海大学に着任したころ、海洋資源学科では、先生方が二つに大きく分かれ、このプレートテクトニクス理論の正当性について、大激論が交わされていた最中であったことである。それだけ、非常に新しい考え方だということになる。このプレートテクトニクス理論の正当性を支持するため、日仏共同海溝計画 KAIKOの一環として、フランスの海洋調査船と有人潜水艇 NAUTILE(潜航深度6000m)が清水に来て、国際シンポジウムが開かれたことを思い出す。一方、学生にとって、清水の地は何も都会のような遊ぶところがなく、自然と海での遊び(釣り、サーフィン、ウインドサーフィン、スキューバダイビング、ライフセービングなど)が中心となっていた。それだけ海のことを教員以上によく知っていた。
  • カヤック
 私は、大学の博士課程の途中で、2年間、ドイツ政府の奨学金制度を獲得し、ハンブルク大学造船研究所に留学したが、ある日、研究所の友人(数学が専門)がハンブルク市内の運河を巡るカヌー漕ぎに誘ってくれた。運河に面する豪邸の庭を鑑賞しながら、ゆったりと運河を進む気持ち良さは素晴らしかった。東海大学海洋学部に着任後、新聞にカヌーで遊ぼうという記事があり、ハンブルクでの楽しさを思い出し、その催しに参加してみたところ、はまってしまった。そのカヌークラブは、主に静岡県の河川でのカヌー(正確にはリバーカヤック、カヌーはオープンデッキのものを指す)遊びを行っていた。静岡には、富士川、安倍川、天竜川など一級河川が多くあり、その源流近くでは水の透明度が良く、またまわりの山々の景色が素晴らしく、リバーカヤック遊びには最適であった。ただ、急流が多くあり、転覆した場合、パドルを使って起き上がるエスキモーロールをマスターする必要があった。このエスキモーロールには、パドルを長く持ち替えるロングロールと、パドルを漕ぐ状態のまま起き上がるショートロールがあり、ロングロールの習得に1年を要した。結局、ショートロールはたいへん難しく習得できなかった。
 アメリカの西海岸のモントレーでの国際会議に出席した際、町の本屋に立ち寄ったところ、 Wooden boat の製作法の本を見つけた。銅線、ガラステープ、エポキシ樹脂、べニア板で作るという簡単なやり方であった。この本をもとに、自分の子供用に作ってみた(写真参照)。この時の製作法は雑誌「手づくり木工事典」(婦人生活社)にも掲載された(写真参照)。強度も十分で安定性のある一人乗りカヤックができたため、このときのプログラムを用い、カヤック作りの授業を始めた。仕上がったカヤックで浜名湖での漕船も行った。研究室では、小学生を対象にカヤック作り教室も開いた。またべニア板の代りにキャンバスの布を用いた手法によるカヤックを製作し、伊豆稻取から伊豆大島まで約30kmの横断カヌー大会にも出場し、無事、横断することができた。
   
自分の子供用に作成したカヤック(西湖)             手作り木工辞典

 前述のエスキモーロールに関して、その運動機構に興味を持ち、自分が被験者となり、水中でのカヤックの運動、体の運動、パドルの動作を撮影し、解析を行い、その結果をもとに運動モデルを構築した。さらに、幾つかの関節を持つマニピュレータを製作し、それをカヤック模型に取り付け、自動復原の実験を行い、マニピュレータでカヤックの自動復原が実現できることを示した。これをもとに、小型船舶の転覆時の自動復原装置として、この手法を用いた装置の特許申請も行ったりした。
   
伊豆稻取から伊豆大島までの横断カヌー大会に出場した学生とカヤック2艇             マニュピュレータによるカヤックの自動復原装置

  • 他分野研究者との協働
当時、海洋学部には、バイオテレメトリ(生物にセンサーや発信機を取り付け、生物の行動を調べる方法)の第1人者であった相馬先生がおられたが、相馬先生や水産庁から来られた水産学科の先生を中心に、バイオテレメトリを使ったイルカの行動調査の研究が始まった。同期の水産学科の先生から私にも声がかかり、発信機をイルカの背中に取り付け、遊泳中に取れないようにするハーネスを開発してもらえないかということであった。そのためには、イルカの形状を知る必要があり、和歌山県の太地町まで行き、イルカをさかさに吊り下げ、各断面の形状を計測した。この時、太地町の水族館の方から、イルカの流体抵抗に関する論文を幾つか見せてもらった。この時、グレーのパラドックスという言葉を初めて知った。イルカの形状をもとに模型を作り、回流水槽で抵抗値の低い発信機の筒の形状を求めた。当初、背ひれに穴をあけ、ボルト締めでハーネスを固定する方法をとったが、太地町での装着実験から、穴から皮膚が炎症を起こしたり、穴が拡大し、ハーネスが取れてしまうことが起きた。そこで、ハーネスをベルトで固定する方法を採用した。ベルトの素材にイルカの皮膚に負担のかからない繊維を考え、東レの研究所に行き、幾つかのサンプルを提供してもらった。これらのサンプルの引張試験も行い、最適なものを選び、太地町での装着実験を行ったうえで、五島列島でのイルカの行動調査を行った。人工衛星通信には、アルゴスシステムを使った。この研究は、海洋生物、海洋計測工学、船舶工学の分野が協働して行う典型的な例であると思う。
イルカのバイオテレメトリ装置とハーネス


その他、協働作業ではないが、黒潮の鉛直プロファイルを、海底から立ち上げた係留系に潮流計を取り付けた方法で長期の計測を行っていた海洋科学科の先生にお願いして、実験の現場を乗船し見学させてもらった。そこで海底に設置した係留系のおもりを切り離すための音響切り離し装置があることがわかった。この装置は、当研究室で最近開発した海底からの油・ガスを追跡する自律型水中ロボットにも緊急浮上装置として装着されている。
沿岸環境を扱っていた先生は、特に浜名湖に注目して、海水交換と湖内環境との関係について研究を進められていた。そこで、外洋との境にある今切口での潮流の速さが2m/sに達することを知った。その潮流エネルギーを使った潮流発電の研究を行った。潮流の向きの変化にも適応し、小さな装置でなるべく多くの潮流エネルギーを吸収させるため、フォイト・シュナイダー型の潮流発電装置に増速装置を取り付けたものを製作し、回流水槽での実験を繰り返したあと、今切口での実験に臨んだ。一応、発電ができることは確認できたが、強潮流下での装置の係留法に課題が残った。
 浜名湖・今切口での潮流発電実験
  • 企業との共同研究
 東海大学海洋学部に在職中、幾つかの企業との共同研究を持った。音響機器を搭載して水中を探査する水中機器、鋼材を用いた養殖施設などの共同研究を行ったが、中でも、KDD研究所(当時の名称)との海底ケーブル探査用自律型水中ロボット Aqua Explorer の開発研究に10年近い関係を持った。この共同研究以前に、制御系を予め形状設計、mission oriented な形状設計を取り込んだ Flipper という自律型水中ロボットを考え、さらに長期の海中探査を行うために、水中ステーションでの水中充電を考え、そのための誘導・ドッキング法を考え、国際会議での発表やイギリス、アメリカ、フランスの研究者の訪問を通して、議論を深めて行った。
自律型水中ロボット”FLIPPER”と水中ステーションの概念図


  その考えをKDD研究所に持ち込んだところ、丁度、海底ケーブル探査用自律型水中ロボットを開発中であり、一緒にやらないかということになった。実験機はすでに開発済みであったが、制御系が未完とのことで、流体モデルの構築、制御系の構築のところを担当し、深さ10mの水槽実験、何回かの海洋実験を通して、海底ケーブルを自律的に探査することが可能であることを明らかにすることができた。しかし、実用機にするためには、流体抵抗性能、前方障害物との衝突回避を含めた縦方向の操縦性、潮流中におけるケーブルトラッキング中の横方向の操縦性、海底接地後の脱出方法に問題があり、Flipper の設計で提案していた考え方を導入して、実験機とは全く違った形状の実用機を開発し、海洋実験を通して、その有効性を確認した。この研究から、水中ロボットの開発には、何度もの海洋実験を繰り返し、ハード面、ソフト面の両面から色々な問題を抽出し、それらをスパイラル的に解決していくことが重要であることがわかった。この開発の途中に、何度か、大企業から見学があったが、大企業ではこのような体制がとれるのか、疑問に思われた。この自律型水中ロボットの開発研究は、世界的に見て、黎明期に当たり、ものづくりのSカーブの下部に位置し、当時はこれが産業として成り立つのか読むことができなかったが、現時点はSカーブの上部に位置している。このAqua Explorerは、世界で初めて海底ケーブル探査用自律型水中ロボットとして開発されたもので、その後、日本でそれを企業化する流れができなかったのが残念である。現在では、海底パイプラインや海底ケーブルを自動検査する自律型水中ロボットが世界のマーケットに出回っている。これは、前述のバイオテレメトリの開発についても同じことが言え、その後、日本で企業化する流れができず、アメリカで企業化された。自律型水中ロボットの水中ステーションでのドッキングと充電についても、アメリカで実用研究が進んだ。一方、この研究で認識不足があった点は、KDDの場合、関連会社に調査船を運用する会社があり、他の企業に比べて、調査船の調達が容易であったことで、今年度までの科学研究費(基盤研究(S))で取り組んでいる海底からの油・ガスを追跡する自律型水中ロボットの開発では、この調査船の手配にたいへん苦労している。特に、日本海側ではこれが大きな問題である。これについては、最後に詳しく述べる。


   
Aqua Explorer 1000 (実験機)             Aqua Explorer 2(実用機)

  • 水棲動物の機能の海洋工学への応用
 前述のAqua Explorerの開発についての論文を発表するために、アメリカのニューハンプシャー大学で2年に一度開催されるUUST(Unmanned, Untethered Submersible Technology)の第1回シンポジウム(1993年)に出席し、他の研究発表を聞いた際、アメリカのノース・イースタン大学のProf. AyersによるLobsterの神経回路解析と水中歩行ロボットへの応用の講演を聞き、このような研究があるのかと、大きな衝撃を受けた。
 日本に帰り、Aqua Explorerの研究開発と並行して、早速、水棲動物の機能の海洋工学への応用を目指した研究を始めることにした。その当時、すでに琉球大学の永井先生が、1970年代から尾ひれ運動を行う自動機械魚の精力的な研究があった。また信州大学の森川先生は1980年代から、機構的に上下運動と縦揺れ運動を二次元振動翼に与える振動翼推進船の開発を行っていた。アメリカでは、1994年にMITのProf. Triantafyllou が永井先生と同じような Robotuna を開発した。一方、東海大学海洋科学博物館では、何種類もの水棲動物の推進方法を単純な機械に置き換えた”メカニマル”が展示されている。このような状況で、Aqua Explorer のように、一定速度で航走する自律型水中ロボットについては、研究の対象外とし、これまで研究がなされていなかった、波浪や潮流の外乱の中で、定位置を保持したり、物体の周りの検査を行うような所謂ホバリング型と言われる高操縦性の水中ロボットの開発を目指した。研究のスタートして、学生に池に棲息していて悪名が高いブラックバスを釣ってきてもらい、二次元水槽中で、遊泳させ、特に、ホバリング型の魚の操縦性に関係のある胸ひれに着目して、運動解析を行った。この胸ひれの運動を単純な三つの運動(前後運動、上下運動、ひねり運動)に分けて、それらの関係を調べた。そうすると、ブラックバスの場合、ほとんど、前後運動とひねり運動から成り立っていることを突き止めた。この運動を機械的に模擬する装置を製作し、ブラックバス模型の胴体に左右の胸ひれ運動装置を取り付け、水槽で動かすと、前後運動、旋回運動が可能であることがわかった。その結果を、第3回UUSTシンポジウムなどで発表した。聴衆の反応は、たいへん良く、その後に投稿した英文ジャーナルの引用が、20年経った今になって多数に上っている。

初代のブラックバスロボット

 
 UUSTシンポジウムの参加を通して、アメリカでは、ONR(Office of Naval Research)やDARPA(Defense Advanced Research Projects Agency)が、生物学者と工学者の協働による水棲動物の機能の海洋ロボットへの応用に関する基礎研究に大きな予算を投じていることがわかった。日本では、前述のようにそれ以前から、先駆的な研究が行われており、日本でも研究会の組織化が必要に感じ、信州大学の森川先生を訪問し、その必要性と可能性を論じた。そして、1997年3月に、バイオエンジニアリングの視点からこれらの水棲動物の運動と推進に関わる生体外部流れと推進原理や感覚機構を解明するとともに,水棲動物の運動機構と機能および行動形態を規範とした水上・水中移動機械などについての研究開発を行うことを目指すアクアバイオメカニズム研究会の第1回の講演会を開催した。その後、2000年にハワイで第1回アクアバイオメカニズム国際シンポジウムを開催,その後、3年に1回のペースで行われている。一方、阪大の田中一朗先生は琉球大学の永井先生と共著で、「抵抗と推進の流体力学 -水棲動物の高速遊泳能力に学ぶ」を出版している。その時、田中先生が永井先生とともに、清水の東海大学海洋学部の私の研究室を訪れられたことを思い出す。またこの国際シンポジウムを通して、世界の研究者のネットワークが形成され、その後、私の胸ひれの研究に関して、日米の共同研究まで発展するに至った。


4つの胸ひれ装置を取り付けた水中ロボットPLATYPUS
 
  • 最後に
 以上、東海大学海洋学部での「海洋との出会い」について、説明をしたが、その後、大阪大学に赴任して、それまでの研究内容を引き継いで行うとともに、国立研究開発法人 港湾空港技術研究所の外部評価委員を長年担当しており、特に、現在の新技術開発領域(計測・システム研究と油濁対策研究から成る)を主に見ていたことから、油流出事故に関係した研究を新たに始めた。最初は、環境省からの競争的研究資金を、その後、文部科学省科学研究費を得て、今年度まで続けている。その中で、研究遂行で問題に挙がっていることは、日本海側に公的機関で調査船を所有しているところが少なく、持っていても部外者には容易には利用できないようになっている。目下、富山高専の海洋練習船や小型舟艇を使わせてもらっているが、それでも使用日数、勤務時間に大きな制約がある。これを民間の調査船を使えば、莫大な費用が発生することになる。前述のAqua Explorer のところで述べたように、水中ロボットの開発には、何度もの海洋実験を繰り返し、ハード面、ソフト面の両面から色々な問題を抽出し、それらをスパイラル的に解決していくことが重要である。さらに大きな問題は、日本海側には、JAMSTECのような調査船を保有した公的な海洋研究機関がないことである。確かに、日本海学推進機構が作られ、日本海沿岸の国々と国際交流も視野にいれながら、日本海との関わりを軸にその自然・文化・歴史・経済などを総合的に研究することを目標にしているが、限定的な活動に限られている。いま日本海側のエネルギー資源に注目が集まっていることから、日本海側の海洋研究体制の充実を切に望みたい。

      海底から噴出する油・ガスを追跡するロボットSOTAB-Iの開発
(駿河湾での第一次試験)
 

 
2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震では、大規模な津波によって工業地帯の油貯蔵施設から大量の油が流出し,気仙沼市街地は全焼した。今後,東海・東南海・南海連動型地震とそれに伴う津波の発生が予測され,東京湾,伊勢湾,大阪湾では大規模工業地帯への災害とそれに伴う有害物質の流出が懸念される。港湾空港技術研究所は、港湾の地震対策、津波対策に対して、中心的な役割を果たしてきている。しかし、大規模工業地帯への災害とそれに伴う有害物質の流出の問題に対して、取り組む姿勢が見えなかった。そこで、大規模自然災害時に、沿岸にある大工業地帯からの油流出の陸側・海側への環境影響について、大阪大学大学院工学研究科専攻横断的研究組織 「石油コンビナート防災研究イニシアティブ」を結成し、油類等の危険物流出被害のリスク解析とそれを軽減する具体的な技術の検討を行い,具体的なガイドライン作成を行うことを目的に研究活動を開始した。ここでの大きな問題は、例えば大阪湾全体の安全性や震災後の復旧・復興活動について、陸側・海側の両面から、震災後の住民の安心・安全も取り込んだ総合的なリスク管理体制が構築されていないことである。私は、今年から、OECDとUN Joint Environmental Unitの「自然災害による産業災害」のステアリング・グループの日本代表に就任し、最終的に、2020年に総合的なリスク管理について、国際的なガイドラインを策定することになっている。この目標を達成させるため、多方面から、皆様のお力をお借りしたい。

大阪湾堺泉北地区のガスタンク・油タンク群









post by 庚子造船会編集者5